生の松原は今津湾岸に沿って続く松原。
神功皇后が三韓征伐途中に枝を刺し、
「もし功なればこの枝生きん」と祈願して、
その枝が育って松原となった伝説もあります。
つまり人工的な防風林ではないようで、
古来よりクロマツの茂る場所だった模様。
「生の松原」。
樹齢100年以上のクロマツが茂る生の松原。
上記の神功皇后の伝説もありますが、
近くに鎮座する壱岐神社から、
「いきのまつばら」となったともされます。
この松原には元寇に備えた防塁が現存。
文永11年(1274)に元の襲来を受けた幕府は、
再度の襲来に備える為に海岸に防塁を築かせ、
本格的な防御態勢を構築します。
「元寇防塁(生の松原地区)」。
この辺りは肥後国守護安達盛宗が担当。
「蒙古襲来絵詞」では指揮下の竹崎季長が、
この地で戦う姿が描かれています。
この防塁は復元されたもので、
実際の防塁は地中に埋まっているとのこと。
防塁の裏側。
高さや幅は平均2mで内部には小石を詰め、
守りやすいように陸側には傾斜があります。
裏手には透明なパネルが設置してあり、
角度を合わせて当時の様子を再現。
上手く考えられていますね。
僕の小学校の頃は元軍には歯か立たず、
神風のおかげで勝てたと習いました。
現在ではその説は否定されており、
鎌倉武士に元軍は苦戦を強いられ、
撤退途上で神風が起こったようです。
最初の文永の役で苦戦していますので、
防塁を築いて準備を整えた日本軍に、
元軍は更に苦しめられることとなり、
防塁のある場所からの上陸もままならず、
二度目の敗北を喫する至りました。
■関連記事■
・長崎県壱岐市 朝鮮通信使迎接所跡
元軍の壱岐上陸地があります。
・大分県豊後大野市 大友親時墓所
元寇で戦った大友家当主。
・下関市豊北町 土井ヶ浜の鬼の松
蒙古兵を埋葬したとされる場所。
