乃木希典は歩兵第14連隊連隊長として、
明治10年の西南戦争に参戦。
主力に先行して熊本へ向かいますが、
2月22日に植木で薩軍の猛攻に遭い、
退却を余儀なくされます。
乱戦で隊旗旗手河原林少尉が撃たれ、
薩軍に… 続きを読む
福岡県北九州市 櫟木哲造曹長墓所
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乃木希典は歩兵第14連隊連隊長として、
明治10年の西南戦争に参戦。
主力に先行して熊本へ向かいますが、
2月22日に植木で薩軍の猛攻に遭い、
退却を余儀なくされます。
乱戦で隊旗旗手河原林少尉が撃たれ、
薩軍に… 続きを読む
出島のカピタン(蘭国商館長)は、
定期的に江戸へ参府し、
日蘭貿易の御礼を行っていました。
その行程は約90日も掛かる旅で、
宿泊には各宿場の本陣等が使用されますが、
通常は一泊のみの慌ただしいもので、
大名の… 続きを読む
小倉藩一門家老家は[御名字之族]と呼ばれ、
幕末期には4家存在しており、
それぞれ小笠原織衛、小笠原若狭、
小笠原甲斐、小笠原内匠がありました。
今回訪問した小笠原家の墓所は、
初代藩主小笠原忠真の弟小笠原忠慶… 続きを読む
北九州市八幡東区高見の市立谷口霊園に、
[小笠原家ゆかりの墓]があります。
小倉藩一門家老家は[御名字之族]と呼ばれ、
幕末期には小笠原織衛、小笠原若狭、
小笠原甲斐、小笠原内匠と名乗ってますが、
各家の当主は特定の名乗りを持たず、… 続きを読む
開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)… 続きを読む
開善寺にある渋田見家の墓所。
「渋田見家墓所」。
渋田見家は信濃の国人仁科氏の支流。
天正壬午の乱後に小笠原家に仕官し、
渋田見長盛、渋田見政長父子が、… 続きを読む