良清寺は柳川市西魚屋町にある浄土宗寺院。
柳河藩初代藩主立花宗茂により、
19年前に死去した正室誾千代の菩提寺として、
元和7年(1621)に創建されました。
誾千代は雷神と称される[父譲りの武勇]と、
[九州諸夫人中第一の美貌]を併せ持ち、
鉄砲と薙刀の名手であったという。
宗茂の留守中は城の守りを任されており、
従女達にも武装させて城を守備し、
豊臣秀吉はその噂を聞きつけて、
誾千代を名護屋城に呼び寄せますが、
謁見の際に誾千代は武装して現れた為、
仕方なく秀吉は褒美を与えて返しました。
また加藤清正が柳川に進軍する際、
宮永村が誾千代の居住地と知ると、
自軍に相当の犠牲が出ると予測し、
進軍ルートを変更させたとされます。
宗茂の改易後は玉名郡腹赤村に居住し、
その2年後の慶長7年に34歳で死去。
その18年後に宗茂は柳川に復帰しますが、
上記の様にその翌年に良清寺を建立し、
誾千代の菩提を弔いました。
「本堂」。
誾千代の位牌が置かれる本堂。
本堂の隣に一般の墓地がありますが、
誾千代の墓は裏手にあるようで、
一般人の参拝は出来ないようです。
お寺の方にもお願いしましたが、
残念ながら断られました。
公開時期があるのかとか、
事前連絡すればどうなのかとか、
どうにか参拝出来ないか聞きましたが、
全く出来ませんとのこと。
※対応されたのは住職ではない模様。
ネットでいくつか写真が掲載されており、
参拝した人もいるようですので、
昔は公開されていたのかもしれません。
以下の写真は市の資料より拝借。
この様に三基の墓が並んでいるとのこと。
中央が誾千代の墓で、
右が2代藩主立花忠茂の五男立花貞晟、
左が5代藩主立花貞俶の室松子の墓。
※松子は貞晟の娘。
誾千代の遺骨は寛永11年(1634)に改葬され、
この良清寺の墓が本墓となっています。
最初の墓所には立派な供養塔が建てられ、
これが[ぼたもちさん]と称されており、
現在も地元で大切にされているとのこと。
墓所の公開はお寺の好意であり、
非公開とするもお寺の方針ですので、
残念ですがこればかりは仕方がない。
墓所であろう裏手の竹垣に向かい、
手を合わせてから寺を後にしました。
■関連記事■
・熊本県玉名郡 ぼたもちさん
ぼたもちさんと呼ばれる誾千代の墓。
・福岡県久留米市 善導寺/立花誾千代の墓
善導寺にある誾千代の墓。
・福岡県糟屋郡 梅岳寺/立花道雪墓所
誾千代の父立花道雪の墓。