立花誾千代は立花道雪の一人娘で、
後継男子のいなかった道雪は、
誾千代に家督を相続させました。
後に高橋紹運の息子立花宗茂と結婚し、
その家督を夫に譲りますが、
紛れもなく立花家当主であったようです。
「立花誾千代墓」。
平成28年に発見された誾千代の墓。
関ヶ原の戦いで西軍に付いた宗茂は、
改易となり加藤清正に庇護されますが、
誾千代は同行することはなく、
肥後国玉名郡腹赤村に居住しており、
その2年後に34歳で死去しています。
この墓はたぶん本墓と思われ、
実母仁志姫の墓と共に、
後年に移されたのではないかとのこと。
■関連記事■
・福岡県糟屋郡 梅岳寺/立花道雪墓所
誾千代の父立花道雪の墓。
・福岡県柳川市 福厳寺/柳河藩立花家墓所
柳河藩立花家の歴代墓所。
・福岡県みやま市 雪峰山立花藩主墓所
柳河藩立花家の3~4代墓所。