久留米競輪場北西の隈山の林の中に、
幕末期の久留米藩重臣らの墓があります。
※正源寺墓地と表記されており、
正源寺が管理しているようです。
「有馬蔵人家墓所」。
遊歩道脇に有馬家、水野家、吉田家等、
久留米藩尊攘派の重臣家の墓が並び、
蔵人家の墓は家老脇の家格で、
墓地の一番高い位置にあります。
「有馬源祐祥墓」。
久留米藩家老脇有馬蔵人祐祥(祐氏)の墓。
戊辰戦争では筑後隊の総督となり、
関東及び奥羽に出陣しています。
山川招魂場は祐祥の発願とされ、
明治2年2月に旗崎茶臼山に創建されました。
妻節子と共に和歌を好んだという。
明治3年に死去。
「有馬大助墓」。
祐祥の嫡男有馬大助祐之の墓。
参政不破美作の暗殺に加担していますが、
家柄を同志に配慮されて暗殺には加わらず、
事後の藩内工作を担当しました。
戊辰戦争では士大将として出陣。
明治12年に死去したようです。
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