渋民宿は奥州街道の宿場町ですが、
盛岡以北の宿場は参勤の大名も少なく、
※松前藩と八戸藩のみ。
発展した大きな宿場はありません。
盛岡市渋民駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渋民宿跡。
「渋民宿跡」。
県道301号線を南北に伸びる街並み。
古い家屋は皆無のようです。
西側には… 続きを読む
岩手県岩手郡 渋民宿跡
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渋民宿は奥州街道の宿場町ですが、
盛岡以北の宿場は参勤の大名も少なく、
※松前藩と八戸藩のみ。
発展した大きな宿場はありません。
盛岡市渋民駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渋民宿跡。
「渋民宿跡」。
県道301号線を南北に伸びる街並み。
古い家屋は皆無のようです。
西側には… 続きを読む
盛岡藩の藩校は寛文年間に創設され、
御稽古所として城内に設置されました。
その後の慶応元年に作人館と改称し、
現在の中央通りに移転。
和漢一致の教育方針のもとで、
校内に大国主命と孔子を祀ったという。
明治5年に作人館が廃校となると、
祀られた孔子像は助教太田代恒徳… 続きを読む
鉈屋町地区にある大慈清水と青龍水は、
江戸時代より地域の人々に重宝され、
その生活を支えてきました。
盛岡藩士星川正甫が江戸砂子を手本とし、
盛岡周辺を網羅した地誌盛岡砂子で、
「夏日は至って冷泉にて、
厳冬温かなること湯のごとし。… 続きを読む
盛岡市街を流れる中津川。
綱取ダムより北上川までの流れが、
平成名水百選に選出されています。
「中津川」。
河川敷には散策路が整備され、
通勤通学路や散歩道になっています。
秋には鮭が遡上して産卵。
冬には白鳥の飛来するという。
また激減したカジカ… 続きを読む
金田一宿は奥州街道の98番目の宿場町。
地名の由来はアイヌ語に由来するとされ、
金田(山中の)一(市)という意味があるという。
南部氏の支族四戸氏がこの地を拝領し、
金田一姓を名乗ったともされ、
言語学者金田一京介やその子金田一晴彦等、
有名な学者の名で知られていますし、… 続きを読む