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盛岡宿は奥州街道の宿場で、
盛岡城の城下に置かれていました。
盛岡市街地周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが盛岡宿跡。
北側より散策。
「四ッ屋惣門」。
奥州街道沿いにあった北の惣門。
道は枡形になっていたようで、
惣門前には番所があったとのこと。
「大智田中地蔵尊」。
惣門跡の脇にある地蔵尊。
盛岡藩5代藩主南部行信が、
母の於俊の方の菩提を弔う為に、
元禄7年(1694)に荼毘跡に建立したもの。
大正元年に現在地に移転されたとのこと。
街道は総門跡を東へ伸びます。
「漢方 金田一薬局」。
言語学者金田一京助の生家跡。
金田一家は四ッ屋町の名家で、
京助の曽祖父金田一伊兵衛は、
米穀商として一代で財を成し、
飢饉の際は蔵を開いて町民を救い、
この功で士分に取り立てられたという。
「枡形」。
更に進むと枡形となっています。
枡形を東に進み写真の四差路を南へ。
本町通りまで進みます。
この間に古い家屋はあまりありません。
「本町通り」。
本町道りには少し町家が残っています。
街道は東に進み上の橋へ。
「上の橋」。
初代藩主南部利直が盛岡城を築く際、
同時期に中津川に架けた橋。
欄干を飾る青銅製の擬宝珠は、
慶長14年(1609)のものが8個、
慶長16年(1611)のものが10個あり、
これほど多数残っているのは、
非常に珍しいとのこと。
橋は何度も架け替えられていますが、
擬宝珠はその度に受け継がれています。
「紺屋町」。
上の橋を越えて最初のT字路を右折。
街道は南へ向かいます。
この通りには古い建物も多く、
歩くのもなかなか楽しい。
「紺屋町番屋」。
大正ロマンあふれる建物。
明治24年(1891)に建てられた番屋で、
盛岡消防よ組の番屋となっていましたが、
後に消防組第四部事務所となり、
現在は交流・体験施設となってます。
「茣蓙九」。
老舗の雑貨屋茣蓙九。
文化13年(1816)創業の商家で、
盛岡を代表する町屋建築です。
江戸時代後期、明治時代中期~末期と、
次々と建てられたものとのこと。
「旧盛岡銀行本店」。
立派な煉瓦造の銀行建築。
明治44年に建てられたもので、
国の重要文化財に指定されています。
この前の十字路が札の辻で、
人通りが一番多い場所でした。
現在も周辺には銀行が多くあります。
つづく。
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盛岡藩南部家の居城跡。
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盛岡藩南部家の歴代墓所。