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つづき。
札の辻を更に南下します。
「もりおか啄木・賢治青春館」。
第九十銀行本店本館だった建物で、
現在は盛岡出身の石川啄木や、
宮沢賢治の資料館となっています。
こちらも国指定重要文化財。
「井筒屋小野家(小野組)跡」。
岩手県中小企業団体中央会の敷地が、
豪商井筒屋小野家の店舗があった場所。
井筒屋は小野(村井)善助が開業し、
後に京都や江戸にも出店した大店で、
明治維新後には一族で小野組を結成。
生糸貿易、鉱山経営、金融業を行い、
三井組に対抗していましたが、
政府の金融政策のあおりで破産しました。
更に進んで緩やかに西に曲がった後、
写真のT字路で左折。
「清水町」。
街道は真っ直ぐ南東へ伸びます。
少々の町家が残っていますが、
かなりリフォームされている模様。
南大通二丁目交差点を越えると、
街道は更に東側へ折れます。
「木津屋池野藤兵衛家住宅」。
対馬藩の外交僧規伯玄方は、
国書改竄の罪で盛岡に配流しますが、
その玄方を慕い初代が移住し、
故郷の山城国木津村にちなみ、
木津屋として開業した老舗。
寛永15年(1638)の創業で、
現在はOA用品を取り扱っています。
この建物は天保5年(1834)の建築。
「盛岡城警備惣門跡」。
木津屋を過ぎると盛岡城警備惣門跡。
盛岡城下の南の関門でした。
更に進む。
街道はこのT字路を右折しますが、
町家が多く残る鉈屋町へ。
「鉈屋町」。
町家が状態良く残る鉈屋町地区。
雰囲気ある町家を利用して、
色々なお店が軒を連ねています。
先程のT字路に戻って街道へ。
「河原町」。
この辺りも町家が残っています。
周辺の大慈寺には原敬の墓、
圓光寺には米内光政の墓があります。
双方共に盛岡出身の内閣総理大臣。
東北出身の内閣総理大臣は、
上記の盛岡出身の2人の他、
奥州市の斎藤実、山田町の鈴木善幸、
秋田県湯沢市の菅義偉の5人で、
菅前総理以外は全て岩手県!
更に東京都の出身ではありますが、
東条英機も盛岡藩士を親に持ち、
東北はおろか全国的にも、
内閣総理大臣を多く輩出しています。
「明治橋北交差点」。
街道はこの交差点で大きく左へ。
「下町資料館(明治橋際の御蔵)」。
盛岡藩の現存する米蔵。
土蔵造平屋建の巨大な蔵で、
全国的にも貴重なもの。
現在は下町史料館となっており、
江戸期の貴重な品々を展示しています。
「新山舟橋跡」。
下町資料館の向かい辺り。
北上川には舟橋が架かっていたようで、
街道は舟橋を渡り南に抜けます。
現地説明板より。
上図のような舟橋があった模様。
当初は舟渡しだったようですが、
次第に人々の往来や流通が多くなり、
寛文5年(1665)に土橋が架けられ、
橋銭を徴収していたようですが、
度々洪水で流されていたようです、
そこで天和2年(1682)に、
大船18艘と中船2艘を鎖で繋ぎ、
板を294枚敷いて舟橋とし、
これが明治6年まで使われました。
その後は明治橋が架けられており、
舟橋は役目を終えたようです。
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■奥州街道の宿場町
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