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新宮市にある新宮水野家の歴代墓所。
紀州藩の附家老水野家は代々新宮領を治め、
歴代当主は江戸詰で政務を行いました。
初代当主水野重仲は和歌山で死去しており、
菩提寺の全正寺に葬られましたが、
分骨されて新宮橋本に納骨されており、
これに倣い歴代当主は墓碑を建立。
水野家の領内墓地となっています。
「水野家墓所入口」。
入口隣に2台程度の駐車スペースがあり、
車で訪問するにはありがたい。
「水野家墓所」。
墓碑16基が整然と並ぶ水野家墓所。
ほぼ同型の墓碑は熊野の流紋岩製です。
「全龍院殿雲州太守日山常春大居士」。
初代当主水野重仲(重央)の墓。
重仲は徳川家康の篤い信任を得て、
徳川家の大番頭を務めた直参家臣でしたが、
家康の十男徳川頼宣が元服すると、
慶長12年(1607)にその傅役に任じらます。
頼宣が水戸藩に封じられると附家老となり、
同じく附家老となった安藤直次と共に、
水戸藩を藩政を担いました。
大坂冬の陣では初陣の頼宣に従い、
大坂夏の陣では後詰を担当。
元和5年(1619)に頼宣が紀州藩に移ると、
新宮領3万5000石が与えられて東の守りとし、
※安藤直次には田辺領3万8000石を与えられ、
西の守りとされています。
以後も附家老として頼宣を補佐しました。
死去。
「妙法 本廣院殿眞休常榮日輔大居士」。
2代当主水野重良の墓。
重良は重仲の長男として生まれ、
小姓として徳川秀忠に近習。
大坂夏の陣では首級を挙げる活躍をして、
秀忠より2000石を与えられています。
元和7年(1621)に父重仲が死去すると、
陪臣扱いを嫌って家督相続を拒み、
秀忠や徳川家光に説得されて家督を相続。
紀州藩の御附家老として政務を担い、
藩政の基礎作りを行いました。
万治元年(1658)に病気を理由に隠居し、
寛文8年(1668)に死去しています。
「妙法 知徳院殿常感日應大居士位」。
3代当主水野重上の墓。
重上は2代重良の長男に生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
50年近く御附家老を務めており、
3代藩主徳川綱教と鶴姫の縁組の際は、
※5代将軍徳川綱吉の長女。
その納幣の使者も務めています。
宝永4年(1707)、死去。
「妙法 知泉院殿静山日體大居士」。
4代当主水野重期の墓。
重期は麻生藩2代水野重良の次男で、
分家を興した新庄直恒の長男でしたか、
母方の大伯父3代重上の養子となり、
養父の死去に伴い家督を相続。
7年の当主在任後に隠居しており、
元文5年(1740)に死去しました。
つづく。
①/②
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