【旅日記/戦記/足跡】」カテゴリーアーカイブ

高杉晋作の上海掩留日録③

//③
つづき。

5月23日
朝、五代と英人ミユルヘツトを訪ねる。
※英宣教師ウィリアム・ミュアヘッド
 半世紀にわたり上海に滞在した人物。

ミユルヘツトは耶蘇教師で、
耶蘇教を上海市民に教えている。
城内の… 続きを読む

高杉晋作の上海掩留日録②

/②/
つづき。

14日
晴。上陸してから今日で一旬余り。
※一旬は10日の事ですが、
 上陸してではなく上海に着いてから。

雨は全く降っていない。
この国に雨は降るのであろうか。
終日閉居し英書を読む。
同行の渡辺與八郎の従僕が、
渡辺與八郎は博多の商人。続きを読む

吉田松陰の浦賀行③

//③
つづく。

6月7日、晴。
西浦賀に至り平根山に登る。
西浦賀には5門の大砲が連なり、
2~300挺のを皆が持ち、
海辺には番舟が数10隻並んでいる。
千代崎灯台下に至り… 続きを読む

吉田松陰の浦賀行②

/②/
つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi
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吉田松陰の浦賀行①

①//

吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

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6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥

/////⑥
つづき。

その事の敗れの本を尋ぬれば、
櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。
因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、
鯵絓りて止まるとやらあり。
大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む