吉田松陰の浦賀行③ コメントを残す①/②/③つづく。6月7日、晴。西浦賀に至り平根山に登る。西浦賀には5門の大砲が連なり、2~300挺の銃を皆が持ち、海辺には番舟が数10隻並んでいる。千代崎灯台下に至り… 続きを読む
吉田松陰の浦賀行② コメントを残す①/②/③つづき。6月6日。早起きして加茂井に至り海を望む。陸から十町程離れた場所に、賊艦が四隻停泊している。お互いの距離は皆5町程で、そのうち二隻が蒸気船。※Susquehanna(サスケハナ)、 Mississippi… 続きを読む
吉田松陰の浦賀行① コメントを残す①/②/③吉田松陰はペリーが浦賀に来航した際、浦賀に赴いて見物しました。今回はこれを追ってみようと思います。———————————————6月4日、晴。渡邊春汀を訪ねるが不在。※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。… 続きを読む
吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥ コメントを残す①/②/③/④/⑤/⑥つづく。その事の敗れの本を尋ぬれば、櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、鯵絓りて止まるとやらあり。大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む
吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤ コメントを残す①/②/③/④/⑤/⑥つづく。夜は暗し、道は知れず、大いに困迫する間に夜は明けぬ。海岸を見廻れども我が舟みえず。※夜は暗く道は判らず、 大いに困っている間に夜は明け、 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。因って相謀りて曰く[事がここに至れば、奈何ともすべからず、うろつく間に縛せられては見苦し… 続きを読む
吉田松陰の三月二十七日夜の記③ コメントを残す①/②/③/④/⑤/⑥つづき。夷人吾が二人の手をとり梯子段を上る。此の時謂へらく、舟に入り夷人と語る上は、我が舟は如何様にもなるべしと。我が舟をば顧みず夷船中に入る。※夷人は我ら2人の手を取り梯子段を上る。… 続きを読む