松陰密航未遂」タグアーカイブ

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥

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つづく。

その事の敗れの本を尋ぬれば、
櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。
因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、
鯵絓りて止まるとやらあり。
大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤

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つづく。

夜は暗し、道は知れず、
大いに困迫する間に夜は明けぬ。
海岸を見廻れども我が舟みえず。
※夜は暗く道は判らず、
 大いに困っている間に夜は明け、
 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。

因って相謀りて曰く[事がここに至れば、
奈何ともすべからず、
うろつく間に縛せられては見苦し
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吉田松陰の三月二十七日夜の記③

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つづき。

夷人吾が二人の手をとり梯子段を上る。
此の時謂へらく、舟に入り夷人と語る上は、
我がは如何様にもなるべしと。
我が舟をば顧みず夷船中に入る。
※夷人は我ら2人の手を取り梯子段を上る。続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記②

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つづき。

岸を離るること一町許り、
ミシシッピー舶へ押行付く。
是れまでに舟幾度か廻り廻りてゆく。
※岸を離れること100m余り。
 ミシシッピ号へ辿り着く。
 ここまでに舟は何度も迂回を繰り返した。

腕脱せんと欲す。
ミシシッピー舶へ押付くれば、
舶上より怪しみて… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊③/ハリスの小路と松陰上陸の碑

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初代駐日弁理公使タウンゼント・ハリスが、
下田赴任中に散歩したとして、
ハリスの小路と名付けられた道があります。
通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、… 続きを読む