吉田松陰の三月二十七日夜の記④

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つづく。

ウリヤムス曰く[君両刀を帯るか]。
曰く「然り」、
[官に居るか]、曰く[書生なり]、
[書生とは何ぞや]、曰く[書物を讀む人なり]、
[人に学問を教ゆるか]、曰く[教ゆ]、
[両親あるか]、曰く[両人共に父母なし]、
(此の僞言少しく意あり)
※ウィリアムズ曰く[君らは武士か?]、
 余曰く[そうだ]。
 [役職に居るか?]曰く[書生である]。
 [書生とは何だ?]曰く[書物を読む人の事]。
 [学問を教えるのか?]曰く[教える]。
 [両親はいるか?]、
 曰く[2人共に父と母は居ない]。
 (この偽言には訳がある)

[江戸を發する事何日ぞ]、曰く[三月五日]、
[會て予を知るか]曰く[知る]、
[横濱にて知るか、下田にて知るか]曰く
[横濱にても下田にても知る]。
※[いつ江戸を出て来た?]、
 曰く[3月5日]。
 [私の事は知っているか?]、
 曰く[知っている]。
 [横浜で知ったのか?下田で知ったのか?]、
 [横浜でも下田でも知っていた]。

ウリヤムス怪しみて曰く、
[吾れは知らず、米利堅へ往き何をする]
曰く[学問をする]。
時に鐘を打つ、凡そ夷舶中、
夜は時の鐘を打つ。余曰く[日本の何時ぞ]。
ウリヤムス指を屈して此れを計る。
然れども答詞詳かならず、
(此の時は七ッ時なるべし)
※ウィリアムズは怪しんで言う。
 [私は知らない。米国に行ってどうする?]、
 曰く[学問をする]。
 その時に時報の鐘が鳴った。
 夷船では夜は時の鐘を打つ。
 余曰く[日本の時間で何時か?]。
 ウィリアムズは指を数えていたが、
 何と言っているか判らなかった。
 (この時は午前4時頃になっていた)

吾れ等云はく、
[君吾が請をきかんずればその書翰は返すべし]
ウリヤムス云はく[置きてみる、皆讀み得たり]
廣東人羅森と書き、
[此の人に遇はせよ]と云う。
ウリヤムス云はく[遇ひて何の用がある。
且つ今臥して牀にあり
]。
※我らは言った。
 [君らが我らの願いを聞かないのであれば、
 その書簡は返して欲しい]。
 ウィリアムズ曰く、
 [置いておく。皆で読んでみる]。
 予は広東人羅森と書き、
 [この人に合わせて欲しい]と言う。
 ウィリアムズ曰く[会ってどうする?
 彼は今病気で寝ている]。

※※羅森はペリー艦隊の中国人通訳。
予曰く[来年も来るか]、
曰く[此れよりは年々来るなり]。
予曰く[此の舶叉來るか]、
曰く[他の舶來るなり]と。
※予曰く[来年も来るか?]、
 曰く[これからは毎年来るだろう]。
 予曰く[この船はまた来るか?]、
 曰く[他の船が来るだろう]。

歸るに臨み[我れ等船を失ひたり、
舟中要具を置く、捨て置けば事發覺せん、
如何せん
]。ウリヤムス云はく、
[我が傳馬にて君等を送るべし、
船頭に命じ置けり、
所々乗り行て君が舟を尋ねよ
]と。
因って一拝して去る。
※帰る際に[我らは舟を失ってしまった。
 舟に荷物を乗せたままで、
 そのままにしておけば発覚する。
 どうしたら良いだろう]と聞く。
 ウィリアムズ曰く[ボートで送ろう。
 船頭に命じて置こう。所々で止まり、
 舟を見つければよい]。
 そして一礼して去った。

然るにバツテイラの船頭直に海岸に押付け、
我れ等を上陸せしむ。
因って舟を尋ねることを得ず。
上陸せしところは巌石茂樹の中なり。
※しかしボートの船頭は直ぐに海岸に向かい、
 我らを上陸させてしまった。
 よって舟を見つける事は出来なかった。
 上陸した所は岩場で樹が茂る場所。


つづく。
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