實相寺は天王寺区上本町にある浄土宗寺院。
天正元年(1573)に創建されており、
元和3年(1617)に同地に移りました。
精銅で財を成した住友家の菩提寺です。
「實相寺」。
伽羅は昭和20年の空襲により焼失。
戦後に近代建築の本堂が建てられました。
「住友家墓所」。
住友家の墓域は境内墓地の南側にあり、
他より一段高い位置に並んでいます。
始祖住友頼定は12代将軍足利義晴に仕え、
頼定の孫住友定重は今川家の家臣となり、
その子住友信定の代に今川家が滅亡。
信定は中川清秀に仕えて入江性を名乗り、
子の入江政俊は柴田勝家に仕えます。
柴田家の滅亡後に政俊の子入江長行は、
結城秀康に仕えていましたが、
自らの子らを武士にはさせませんでした。
「文殊院員外嘉休 玉性院松譽利貞」。
家祖住友小次郎政友夫妻の墓。
政友は住友(入江)政行の次男に生まれ、
涅槃宗開祖空源に入門して僧となり、
文殊院空禅の法号を授かりました。
涅槃宗の布教に勤めていましたが、
元和3年(1617)に後陽成天皇が崩御すると、
後ろ盾を失い邪教と訴えられ、
空源と共に佐倉藩へ配流。
涅槃宗が天台宗に吸収されると、
京に帰って独自に佛者に徹し、
後に書籍と薬種を扱う富士屋を開業。
商売上の心得を[文殊院旨意書]にまとめ、
これを一族に徹底させました。
これが現在も住友クルとなっている
慶安5年(1652)、死去。
京都下京区永養寺に葬られている為、
これは供養塔と思われます。
「淨泉院即心良入
寶泉院壽光春貞」。
2代住友理兵衛友以夫妻の墓。
泉屋蘇我理右衛門の長男として生まれ、
初代政友の婿養子としてその娘を娶り、
泉屋住友家を興して大坂に出店。
理右衛門が生業とした南蛮吹きを用い、
粗銅から銀を取り出して利益を挙げ、
以後は代々銅商として続きます。
3代住友吉左衛門友信より、
日本各地の鉱山経営で財を成し、
[銅の住友]と称されました。
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