大阪府大阪市 西方寺/三井家墓所

西方寺生玉寺町筋にある浄土宗寺院。
文禄2年(1593)に創建されたようですが、
念誉上人の元檀家の協力で開山したとのこと。


本堂」。
往時は諸堂が建ち並ぶ境内だったようですが、
昭和20年の空襲で土蔵以外を消失しており、
現在の本堂は昭和39年の再建です。

境内墓地の奥側に三井家の墓所があります。

三井家墓所」。
三井家は三井財閥の創始者一族で、
江戸時代越後屋呉服店を営んでいました。
家伝では藤原道長の六男藤原長家より、
5代後の右馬之介信生が近江国に土着し、
武士になったのが三井家の始まりという。
三井家は守護大名六角家に仕えていましたが、
織田信長により六角家は滅ぼされた為、
当時の当主三井高安伊勢に逃れ、
高安の子三井高俊は武士を廃業。
松坂に質屋兼酒屋を開き、
商人としての三井家が創業されています。


松樹院長譽宗壽居士
 榮昌院長空壽讃大姉
(中央)」。
三井家祖三井八郎兵衛高利夫妻の墓。
高俊は武士を廃業して商売を始めますが、
商いには関心が薄かったようで、
実質的に家業は高俊の妻殊法が行い、
息子らに多大な影響を与えていたという。
高利は高俊の四男に生まれ、
14歳で江戸に赴き兄達の店で修行。
18歳で江戸の店を任されましたが、
母の看病で松坂に帰国しています。
後に江戸に再進出して越後屋呉服店を開き、
本拠を松坂から京都に移し事業を拡大。
両替商も手掛ける様になり、
元禄3年(1690)には大坂に進出しており、
幕府為替御用も始めるようになって、
三井家惣領の座を確立させました。
高利は京都で葬られたようですので、
この墓は慰霊墓か遺髪墓でしょう。
その他の墓石には戒名がびっしり刻まれ、
当主や一族の合葬墓となっています。

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