鳳林寺は谷町筋にある曹洞宗寺院。
天正15年(1588)に創建されており、
武蔵国岩付にあった芳林寺が、
後北条家の摂津国移封で移転したもの。
元和元年(1615)の大坂夏の陣の際、
真田幸村(信繁)に追われた徳川家康が、
この寺に隠れて難を逃れたとされ、
後に家康によって朱印が与えられたという。
その頃に門前の林に鳳凰の舞い降りた為、
これが天下太平の吉兆であるとのことで、
寺号を芳林寺から鳳林寺と改称しています。
「本堂」。
本堂は空襲で焼失していますが、
現在の本堂は御所宸殿からの移設で、
[関白御殿][銅駝御殿]と呼ばれたもの。
文久3年に二條斉敬が関白に就任した際、
叔父の徳川斉昭が建てた御殿で、
従兄弟にあたる一橋家の徳川慶喜や、
会津藩主松平容保、土佐藩主山内容堂が、
政情について話し合った場所でもあります。
境内墓地へ。
「僊林即翁居士之墓」。
江戸中期の俳人上島鬼貫の墓。
[東の芭蕉 西の鬼貫]と並び称された人物。
俳諧にはあまり詳しくありませんが、
素人的に松尾芭蕉に匹敵するのであれば、
相当な人物なのだろうと紹介しました。
「松本氏累現塔」。
関西経済界の重鎮松本重太郎の墓。
農家に生まれて京都の呉服店、
大阪の太物問屋で修行した後に独立し、
明治3年に洋反物屋[丹重]を開業。
これが当たって大きな財を得ており、
明治11年に第百三十銀行を設立しました。
大阪共立銀行、大阪紡績、山陽鉄道、
大阪麦酒等の様々な企業の経営に関与。
関西経済界に大きな影響力を持ち、
明治29年には衆議院議員にも当選しますが、
明治37年に第百三十国立銀行が破綻すると、
自分の資産を整理して隠居しています。
「千手寺殿壽山源勝大居士」。
岡部藩安部家の家祖安部信勝の墓。
信勝は今川家の家臣でしたが、
後に徳川家康に仕えて戦功を挙げ、
5250石を与えられた武将ですが、
慶長5年(1600)1月2日に死去しています。
家督は嫡子安部信盛が相続し、
関ケ原の戦いや大坂の陣で活躍。
以降も幕府に貢献して加増を重ね、
大坂定番となった際に1万石を加増され、
1万9250石となって岡部藩を立藩しました。
安部家は以後幕末まで岡部藩主として続き、
慶応4年4月に半原に藩庁を移転。
半原藩として廃藩置県を迎えています。
この墓は信盛が大坂定番になった際、
供養墓として建てられたもの。
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