大楽寺北墓地にある楫取素彦夫妻の墓。
楫取は大河「花燃ゆ」の主人公美和子の夫で、
少し知られるようになった人物ですが、
その描かれ方が非常に酷いもので、
本来の彼の功績は殆ど語られず、
虚像でヒーローとされてしまいました。
僕が「花燃ゆ」の文句をってしまうと、
無限に文章に出来てしまいますので、
これはセーブしたいと思いますが、
実際は大河とは別の活躍をしています。
「正二位勲一等男爵楫取素彦墓(右)」、… 続きを読む
山口県防府市 大楽寺/楫取素彦夫妻墓所
コメントを残す
大楽寺北墓地にある楫取素彦夫妻の墓。
楫取は大河「花燃ゆ」の主人公美和子の夫で、
少し知られるようになった人物ですが、
その描かれ方が非常に酷いもので、
本来の彼の功績は殆ど語られず、
虚像でヒーローとされてしまいました。
僕が「花燃ゆ」の文句をってしまうと、
無限に文章に出来てしまいますので、
これはセーブしたいと思いますが、
実際は大河とは別の活躍をしています。
「正二位勲一等男爵楫取素彦墓(右)」、… 続きを読む
長州藩7代藩主毛利重就は、
困窮していた藩財政を立て直す為に、
数々の藩政改革を断行。
後の幕末期に藩が行動する為の軍資金を、
蓄える基礎を築いた名君とされます。
重就は天明2年(1782)に隠居していますが、
隠居後は三田尻御茶屋で余生を過ごし、
寛政元年(1789)に死去。
遺骸は歴代墓所の… 続きを読む
籌勝院は岩国市小瀬にある曹洞宗寺院。
湯原八幡宮の社坊だったようで、
慶長元年(1596)に吉川家家老香川春継が、
小瀬村を与えられて領主となった際に、
ここを実父香川光景の位牌所とし、
喜本院と称させたのが始まり。
春継もその子香川家景… 続きを読む
昌福寺は徳地にある曹洞宗の寺院。
元々は福生寺という尼寺だったようで、
後に荒廃していたものを、
慶長元年(1596)に雲甫永岳和尚が再興し、
正福寺となったとされます。
「昌福寺」。
正福寺は明治3年に… 続きを読む
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
龍文寺は周南市長穂門前にある曹洞宗寺院。
陶盛政により建立された陶氏の菩提寺で、
陶氏の繁栄と共に寺運も隆盛しました。
西国の曹洞宗寺院を管轄する大寺院となり、
永平寺と同じ[吉祥山]の山号を称し、
10代陶晴賢が毛利元就に敗れ滅亡した後も、
毛利家の庇護下で隆盛し続けています。… 続きを読む