籌勝院は岩国市小瀬にある曹洞宗寺院。
湯原八幡宮の社坊だったようで、
慶長元年(1596)に吉川家家老香川春継が、
小瀬村を与えられて領主となった際に、
ここを実父香川光景の位牌所とし、
喜本院と称させたのが始まり。
春継もその子香川家景によってここに葬られ、
その戒名[籌勝院殿幹翁秀英居士]から、
寺名を籌勝院と改称しました。
「本堂」。
籌勝院は慶応2年の芸州戦争の際に、
遊撃軍(遊撃隊)の本陣が置かれた場所でした。
総督の吉敷毛利家当主毛利親直が宿所とし、
岩国藩初代藩主吉川経幹も立ち寄った他、
長州藩世子毛利元徳も宿泊しています。
「遊撃隊士の墓」。
芸州戦争で戦死した遊撃軍の墓。
30基前後の墓碑が並んでいます。
全ての被葬者は確認出来ませんが、
判る範囲は以下の26名、
堀宮冶郎、藤井忠吉、菊池十郎、
仲子守之進、木田浅吉、木山谷五郎、
藤村秀太郎、吉岡〇之、藤井太一郎、
有田要助、野村正之進、卯山卯作、
金子健之輔、菊池十郎、吉村権吉、
松田高義、松山才熊、鰐口市之進、
石津庄吉、吉村権吉、岡本松右衛門、
野村正之進、義助、波多野安熊、
藤井忠吉、又左衛門。
「開基 香川春継墓所」。
香川家は安芸武田家の家臣でしたが、
春継の父光景が毛利元就に従い、
父と共に尼子家との戦いに参加。
敵将を一騎打ちで倒す等の武勇を発揮し、
乞われて吉川元春の家臣となりました。
元春の死後は跡を継いだ吉川広家に仕え、
関ヶ原の戦い後の岩国移封に伴い、
小瀬村を与えられています。
以後も香川家は代々吉川家の家老を務め、
家老五家のひとつとして続きました。
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