広島県大竹市 長州の役戦跡 苦の坂

苦の坂西国街道の難所のひとつ。


小方町小方周辺。緑の線が街道筋。
木野側に四町九間(4513m)の急坂があり、
防州側に対する防備に適していました

慶応2年6月13日。
長州征討軍先鋒の彦根藩兵与板藩兵は、
岩国領との国境である大竹村に布陣。
翌14日に対岸の長州勢と戦闘を開始します。

一方で別動隊として高田藩兵千余名は、
立戸から苦の坂に進み、
長州諸隊200余名と交戦しました。


長州の役戦跡 苦の坂入口」。
※広島県大竹市木野2丁目8

遊撃軍主力の長州勢はミニエー銃を装備し、
散兵戦術を用いて高田藩兵を圧倒しました。
敗走した高田藩兵は戦線を離脱。
遊撃軍はこれを追って玖波村まで進撃し、
同じく敗走する彦根藩兵らは退路を断たれ、
総崩れして退却しています。

■西国街道の宿場町

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