岩国市周東町 通化寺(遊撃軍の本陣)

遊撃軍(遊撃隊)は来島又兵衛が組織した部隊で、
禁門の変では、来島が戦死するほどの奮戦を見せています。
来島の死後は、石川小五郎の指揮の許で功山寺挙兵にも参加。
大田絵堂の戦いの後には高杉晋作が総督となっています。
・・とはいっても正式に藩から任命されたわけではなく、
事実上の総督であったようです。

遊撃軍は都濃郡須々万村にあった本営を、
対幕府戦に備えて通化寺に移し、
250人であった兵員を330人に増強。
毛利幾之進(吉敷毛利家)を総督に迎え、
石川小五郎が副総督を務めました。
晋作は遊撃軍から離れ下関にて精力的に活動。
この時期に四国への亡命もしています。


通化寺」。
807年創建の黄檗宗の古刹。
平安時代に創建された古いお寺です。
遊撃軍はこの寺を本陣としました。


高杉晋作遊撃軍激励之地」。
山門をくぐるとまず目に入る石碑。
現内閣総理大臣安倍晋三の揮毫によるもの。
祖父である岸信介が、A級戦犯被疑者から無罪となり、
幽閉された巣鴨プリズンを出獄後に、
通化寺に隠棲していたという縁があるようです。


高杉晋作 遊撃隊遊撃軍激励の詩石碑」。
殱賊興正非我功   幸隋驥尾全斯躬
豊公事業君無怪   一片機心今古同
訪遊撃軍諸君即吟
              東洋一狂生東行

訳:賊を打ち破り、正道を興すは我が功績に非ず
  幸い先達を見習って行動し、成し遂げただけである
  豊臣公も事業を成し遂げたが、何も不思議な事はない
  昔も今も成し遂げようとする人の心は同じである
  遊撃軍諸君を訪問してこの詩を即興で吟じる
                  東洋一狂生東行


通化寺を訪問した晋作が、遊撃軍隊士達の為に即興で吟じた詩。
ただ、いつ訪問したのかが僕にはよくわかりません。
直筆の書が残っているのですから、間違いないとは思いますが、
通化寺に転陣する前かもしれませんね。


遊撃隊総督邸跡」。
詩碑の後ろあたりに、総督の住居があったようです。
総督とは毛利幾之進(親直)の事でしょう。
彼は幕長戦争の後、藩命でイギリスに留学し、
明治5年に帰国するのですが、
明治3年に義父毛利元一が隠居した為、
留学先で家督を継いで、吉敷毛利家当主となっています。
明治7年、突如として病を理由に吉敷毛利家から離籍。
上田五郎を名乗って一般人となりました。
その後、西南戦争に従軍し戦死しています。


天野氏墓所」。
戦国時代の毛利家家臣天野隆重の一族の墓所。
天野隆重は山中鹿之助と激戦を繰り広げた武将です。


雪舟庭園」。
通化寺の庭園は雪舟の作。
残念ながら荒れ果てていました。
この庭園に遊撃軍関連の石碑があります。


遊撃軍記念碑」。
遊撃軍を顕彰した記念碑。


遊撃軍招魂碑」。
遊撃軍の戦死者を招魂する碑。
ちなみに遊撃軍の招魂場は光市にあります。


「遊撃軍陣営遺蹟移管碑」。
遺蹟(遺跡)移管(管轄をかえること)碑??
よくわかりませんが、
この遺跡の管轄が変わった事を記念する碑。

さて、雪舟庭園が荒れ果てていた理由が、
本堂をを見ればわかります。

通化寺本堂」。
屋根の瓦が落ちてシートが被せられていました。
周りは砕けた瓦が散乱しており、荒れ果てています。
これはどうした事かというと・・・・・


こういうことのようです。
これはどうにかしなければ・・・。
しがないサラリーマンの僕には、
小銭を募金箱に入れる事と、
ブログで現状を知らせる事しかできません。
遊撃軍の史跡ですし、雪舟庭園なのですから、
瓦の補修と庭の手入れくらい、
どうにかならないのでしょうか?

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