戊辰戦争の岩国領戦死者22名を祀る為、
領主吉川経幹が関所山招魂場を建立。
これが岩国護国神社となっています。
後に脱退騒動鎮圧の戦死者5名も合祀。
招魂場の運営は岩国藩が行っていましたが、
廃藩置県によって吉川家の庇護から離れ、
関所山招魂場は山口県庁の管理となり、
関所山官祭招魂社と改称されました。
以降は日清日露等各事変の戦没者が祀られ、
岩国護国神社と改称して現在に至ります。
岩国市市街(岩国護国神社の場所)
「岩国護国神社」。
錦川が二手に分かれる位置の北側。
関所山と呼ばれた小高い丘の上にあります。
名前から察するに関所があったのでしょう。
境内で目を引くのがこの神馬。
今にも動き出しそうでカッコいいですね。
招魂場は社殿裏にあることが多いのですが、
全く見当たらない・・あれれ?おかしいな?
と思って本殿をよく見ると・・・。
本殿を囲んでいたのは玉垣ではなく招魂墓!
本殿前方を除いた三方を、
招魂墓がコの字で囲んでいます。
こちらは本殿左手側。
本殿の後ろ。
本殿右側。
計28柱の墓碑が建てられています。
戊辰戦争での岩国領戦死者は22名で、
諸藩脱退騒動の鎮圧側の戦死者は5名。
1柱多いのは戦病死した人でしょう。
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