浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む
佐賀県唐津市 浜崎宿跡
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浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む
佐賀県立唐津商業高校の南西方向の御岳山に、
水野家唐津藩3代藩主水野忠光の墓があります。
忠光は天保の改革の主導者水野忠邦の父で、
隠居後の文化11年(1814)に江戸で死去。
遺骸は歴代墓所である結城万松寺に埋葬され、
遺言によって唐津に[衣剣]が埋葬されました。… 続きを読む
神埼市役所前交差点の南西側に、
蘭医伊東玄朴の胸像が建てられています。
「蘭醫 伊東玄朴先生之像」。
昭和46年に伊東玄朴史跡顕彰会により、
この場所に建立された胸像。
伊東玄朴は鳴滝塾でシーボルトに学び、
佐賀藩内で… 続きを読む
神埼宿は長崎街道の10番目の宿場町。
櫛田宮の門前町でもあったようで、
非常に賑やかな宿場であったとされます。
神埼市神埼町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが神崎宿跡。
「西木戸口跡」。
神埼宿の木戸は少し変わっていたようで、
通常の木戸は横に開く門ですが、
戸板を突き上げて縦に開いていた… 続きを読む
今町は長崎街道沿いにあった家並みで、
周辺は対馬藩の飛地領であり、
街道の東側は奈良田村に属し、
西側は柚比村に属していたようです。
この家並みは約30戸程であったとのこと。
道沿いには豆腐屋、竹細工屋… 続きを読む