佐賀県」カテゴリーアーカイブ

佐賀県三養基郡 千栗八幡宮

千栗八幡宮肥前国一宮のひとつ。
神亀元年(724)に肥前国養父郡司壬生春成が、
神託を受けて千根の栗が生えている地に、
社を建てて八幡神を祀ったのが創始。
承平年間(931-938)に宇佐八幡宮別宮となり、
以後はその五所別宮として崇敬されます。
戦乱によって幾度も社殿は焼失し、… 続きを読む

佐賀県唐津市 浜崎宿跡

浜崎宿唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。


浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。

東側より散策。… 続きを読む

佐賀県唐津市 名護屋城跡②

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つづき。


弾正丸跡」。
二ノ丸の南側に配された弾正丸跡。
名称は浅野長政の官位弾正少弼に由来し、
長政が登城時に詰めた曲輪だったとのこと。


搦手口跡」。
弾正丸は… 続きを読む

佐賀県唐津市 名護屋城跡①

①/

名護屋城豊臣秀吉朝鮮出兵の際に、
その拠点として築かれた巨大な城。
文禄元年(1592)の開戦から、
秀吉の死で撤退する慶長3年(1598)まで、
大陸侵攻の拠点となりました。
その規模は約17万㎡にも及び、
大坂城に次ぐ規模を誇っており、
周囲に130以上の諸大名の陣屋が構築され、… 続きを読む

佐賀県唐津市 水野忠光墓所

佐賀県立唐津商業高校の南西方向の御岳山に、
水野家唐津藩3代藩主水野忠光の墓があります。
忠光は天保の改革の主導者水野忠邦の父で、
隠居後の文化11年(1814)に江戸で死去。
遺骸は歴代墓所である結城万松寺に埋葬され、
遺言によって唐津に[衣剣]が埋葬されました。… 続きを読む

佐賀県神埼市 伊東玄朴胸像

神埼市役所前交差点の南西側に、
蘭医伊東玄朴の胸像が建てられています。


蘭醫 伊東玄朴先生之像」。
昭和46年に伊東玄朴史跡顕彰会により、
この場所に建立された胸像。
伊東玄朴は鳴滝塾シーボルトに学び、
佐賀藩内で… 続きを読む

佐賀県神埼市 神埼宿跡

神埼宿長崎街道の10番目の宿場町。
櫛田宮の門前町でもあったようで、
非常に賑やかな宿場であったとされます。


神埼市神埼町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが神崎宿跡。


西木戸口跡」。
神埼宿の木戸は少し変わっていたようで、
通常の木戸は横に開く門ですが、
戸板を突き上げて縦に開いていた続きを読む