佐賀県三養基郡 千栗八幡宮

千栗八幡宮肥前国一宮のひとつ。
神亀元年(724)に肥前国養父郡司壬生春成が、
神託を受けて千根の栗が生えている地に、
社を建てて八幡神を祀ったのが創始。
承平年間(931-938)に宇佐八幡宮別宮となり、
以後はその五所別宮として崇敬されます。
戦乱によって幾度も社殿は焼失し、
その度に再建されていますが、
特に天文3年(1534)の陶興房の焼き討ちでは、
神官や神宮寺の僧侶らが尽く殺され、
社殿も全て灰塵となってしまっており、
龍造寺政家が天正11年(1583)に再興するまで、
荒廃した状態が続いていたようです。
その後は龍造寺家の跡を継いだ鍋島家より、
社領200石が寄進されて隆盛。
慶長14年(1609)には後陽成天皇勅額で、
[肥前国総一宮鎮守千栗八幡大菩薩]を賜り、
肥前国一宮となっていますが、
以前の慶長7年(1602)に與止日女神社に対し、
後陽成天皇は[一宮]の勅額を与えており、
両社の間で一宮争いが発生しました。
これは延宝7年(1679)に双方共に、
新しく[一宮]の記載を許されない事で決着。
現在は両者共に肥前国一宮となっています。


一ノ鳥居」。
慶長14年(1609)に佐賀藩藩祖鍋島直茂が奉納。
鳥居の奥は表坂(石段)となっており、
146段の急な石段が伸びています。
バルセロナ五輪柔道金メダル古賀稔彦は、
幼少期にこの石段で足腰を鍛えたようで、
石段脇に記念碑が建立されていました。


拝殿」。
石段を登った先にある拝殿
令和6年が創建1300年だったらしく、
これを記念して拝殿や本殿は改修され、
境内も整備されています。


お粥堂」。
創建以来続けられる[お粥試]神事の際、
お粥を参拝者に供覧する場所。
[お粥試]は正月15日にお粥を神殿に納め、
2月初卯の日にこれを取り出して、
そのカビの具合で豊穣を占う神事です。


武雄神社」。
武雄心命を祀る境内社の武雄神社
祭神の武雄心命は武内宿禰の父とされ、
景行天皇に仕えて神祇祭祀を司った人物。
手や足に痛みに御利益があるとのこと。
藩政時代はこの場所に東照宮があり、
佐賀藩主が代々参拝していたとのこと。


鳩森稲荷神社」。
壬生春成が八幡神の神託を受ける前日に、
森で狩りをしていた際にが現れたようで、
これに由来して[鳩森]と称しているとのこと。
今では鳩は珍しいものではありませんが、
当時は珍しいものだったのでしょうか??


ハート型の池」。
インスタ映えを狙ったものかと思ったら、
80年前からこの形だったとのこと。
創建1300年記念事業で整備された池で、
もちろんハート型で造営されたものでなく、
伝統的な[猪目]形だったのでしょう。

■関連記事■
佐賀県佐賀市 與止日女神社
 もうひとつの肥前国一宮。
福岡県久留米市 高良大社
 筑後国一宮。
大分県宇佐市 宇佐神宮
 豊前国一宮。

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