宇佐神宮は全国八幡社約44,000社の総本宮。
小椋山山頂に鎮座する上宮と、
山麓に鎮座する下宮からなっています。
上宮本殿一之殿に祀られる八幡神は、
応神天皇(誉田別命)の神霊とされ、
欽明天皇32年(571)に大神比義命により、
宇佐の地に示顕したという。
神亀2年(725)に一之殿、
天平元年(729)に二之殿、
弘仁14年(823)に三之殿が造営され、
三棟の連なる現在の形式が完成。
伊勢神宮に次ぐ皇室宗廟となりました。
大宮司は大神比義命の子孫が務めますが、
やがて武士化して周辺と争い、
後に宇佐氏がこれを継ぐ事となり、
その一族である宮成氏、到津氏が、
大宮司として残っています。
江戸時代も幕府より神領を寄進されており、
武家の守護神として信仰を集めて隆盛。
八幡宮は稲荷社に次いで多いとされ、
宇佐八幡宮はその頂点として君臨しました。
「仲見世」。
昭和初頭までは西参道沿いに、
旅館や宇佐飴屋、土産物屋が連なり、
神明町と呼ばれた商店街がありましたが、
後の昭和の大造営で移転させられ、
現在の仲見世商店街になったという。
名物の宇佐飴や宇佐瓢箪等の他、
宇佐の郷土料理も食べられます。
「北参道鳥居」。
表参道の最初の鳥居。
宇佐神宮の古地図にはありませんので、
昭和の大造営の際に建てられたようです。
「神橋」。
寄裳川に架かる朱色の神橋。
この橋を渡ると神域となります。
「大鳥居」。
神橋から少し行くと見えてくる大鳥居。
天永2年(1111)の創建とされます。
ここから長い表参道が続きますが、
参拝客が多くて良い写真が撮れず。
参道を進んだ先に手水舎があり、
手を清めてから小椋山山麗へ。
参道は上宮への道と下宮への道に分岐。
参拝日が1月上旬だった為に、
正月の混雑対策の為の順路が設定され、
参拝は上宮からの一方通行となっていました。
勿論それが正式な参拝なので問題は無し。
「宇佐鳥居」。
上宮へ続く石段の頂上にある鳥居で、
一の鳥居とも呼ばれるもの。
宇佐神宮の鳥居は笠木がそり上がり、
額や額束がなく柱上部の黒い台輪が特徴。
この形式は宇佐古来のもので、
境内の鳥居は全てこの形になっています。
「西大門(修復中)」。
西大門は元文5年(1740)年建立の勅使門。
現在は檜皮葺き屋根の劣化や白蟻被害により、
損傷が著しくなった為に、
緊急の修復工事が行われていました。
「南中楼門」。
寛保2年(1742)年建立の八脚楼門で、
宇佐神宮上宮内郭の南正門。
一般の参拝はここまでで、
この内部に一之御殿、二之御殿、
三之御殿の3つの本殿が建立されています。
※三棟共に国宝建築物。
宇佐神宮の参拝作法は二礼四拍手一礼で、
通常の二礼二拍手一礼とは異なっており、
これを作法とするのは他に、
出雲大社と彌彦神社のみという。
ここには八幡大神(応神天皇:一之御殿)、
比売大神(宗像三女神:二之御殿)、
神功皇后(三之御殿)が祀られています。
上宮への参拝を終えて順路通り進む。
「若宮神社」。
上宮参道石段途中に鎮座する神社で、
大鷦鷯命(仁徳天皇)、大葉枝皇子、
小葉枝皇子、隼総別皇子、雌鳥皇女が祭神。
五神共に応神天皇の子で、
除災難、厄難の神様とされています。
「下宮」。
山麓に鎮座するもうひとつの本殿。
上宮より分霊された三神が祀られています。
弘仁年間(810-824)に嵯峨天皇の勅願で創建。
上宮と同様に三神が祀られる事から、
「下宮参らにゃ片参り」と云われたという。
上宮と同じく三棟からなりますが、
上宮が御殿と称するのに対して、
こちらは一之神殿、ニ之神殿、三之神殿と、
御殿ではなく神殿と称されています。
また一之新神殿は八幡大神だけではなく、
大神比義命と相殿となっているのも特徴。
「弥勒寺跡」。
神宮寺だった弥勒寺の跡地。
表参道の西側の宝物殿から下宮北西辺りまで、
諸坊を含む弥勒寺の境内だったようです。
ネット情報では慶応4年の御許山騒動で、
長州藩に焼き討ちされたとの事ですが、
これは大元神社にあった大元六坊では?
※大元神社は宇佐神宮の奥宮で、
大元六坊は弥勒寺の末寺。
ちなみに御許山騒動の鎮圧は長府報国隊。
これ程の大寺院を焼き討ちすると、
下宮もただでは済まない気がしますので、
単に神仏判然令で廃寺となったのでしょう。
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