興神社は壱岐市にある神社で、
壱岐国一宮であるとされています。
現在壱岐一宮を名乗る天手長男神社は、
神道家橘三喜が延宝4年(1676)に比定。
しかし近年の研究により、
興神社が天手長男神社だったとされ、
これが有力な説となっています。
「一ノ鳥居」。
壱岐島には大きな寺社は殆ど無く、
境内地は狭いものが多いようです。
ここも参道は50m(?)程度あるものの、… 続きを読む
長崎県壱岐市 興神社
コメントを残す
興神社は壱岐市にある神社で、
壱岐国一宮であるとされています。
現在壱岐一宮を名乗る天手長男神社は、
神道家橘三喜が延宝4年(1676)に比定。
しかし近年の研究により、
興神社が天手長男神社だったとされ、
これが有力な説となっています。
「一ノ鳥居」。
壱岐島には大きな寺社は殆ど無く、
境内地は狭いものが多いようです。
ここも参道は50m(?)程度あるものの、… 続きを読む
壱岐にある住吉神社は三韓征伐の後、
神功皇后が住吉三神を祀った事に始まります。
初めは郷ノ浦にあったようですが、
後に現在地に遷座しました。
[日本初の住吉神社]であるとされており、
「延喜式神名帳」では… 続きを読む
豊臣秀吉の2度の朝鮮出兵により、
李氏朝鮮との関係は悪化しますが、
徳川家康は朝鮮との関係改善を進め、
李氏朝鮮に通信使の派遣を打診。
慶長12年(1607)より使節が派遣され、
以後12回これが続いています。
※1回目から4回目までは国交回復交渉や、
捕虜の返還が行われました。
5回目より将軍就任の祝賀… 続きを読む
唐琴の瀬戸は牛窓と前島の間にある海峡。
牛窓は古くから西国航路の寄港地として栄え、
多くの舟が風待ち、潮待ちした場所。
万葉集や山家集にも詠まれており、
[牛窓千軒]と呼ばれた程に繁栄しました。
江戸時代に入ると… 続きを読む
志賀海神社は志賀島に鎮座する神社で、
綿津見神社及び海神社の総本社です。
「志賀海神社」。
海の中道より志賀島に入ると、
一ノ鳥居より参道が北側に伸びており、
それを進むと社号碑と石段が現れます。
石段途中にはニノ鳥居が建っており、
そこから神域となっていますが、… 続きを読む
香椎宮は福岡市東区香椎にある神社で、
全国で16しかない勅祭社のひとつ。
古代には霊廟とされていたもので、
仲哀天皇及び神功皇后の神霊を祀り、
香椎廟、樫日廟と称されていました。
「三ノ鳥居」。
香椎宮の… 続きを読む
14代仲哀天皇は日本武尊の子で、
伯父である13代成務天皇の養子となり、
先帝崩御の2年後に即位しました。
即位2年後に気長足姫(神功皇后)を娶り、
後に熊襲討伐の為に皇后と豊浦に行宮。
熊襲を討つ為に筑紫に赴いた際に、… 続きを読む