つづき。
①/②
街道沿いに戻り北上。
「五島屋藤田家住宅」。
嘉永5年築の五島屋藤田家の建物で、
屋根上の煙出しが特徴。
銑鉄を扱う廻船業を営んでいました。
「山辺神社」。… 続きを読む
島根県江津市 郷田宿跡②
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吉田松陰は嘉永2年6月に、
萩以北の海岸線を巡視しています。
これについて書かれた松陰の日記は無く、
僅かに代官の簡単な報告書が残るのみで、
その詳細は殆ど判りません。
嘉永2年6月28日~7月1日の間で、
松陰は江崎浦と田萬村を巡視したらしい。
江崎浦には松陰が宿泊したと伝わる家もあり、
現在も漁港として残りますが、
田萬村については下田万と… 続きを読む
江崎浦は深い入江の奥にある天然の良港で、
阿武郡18郷の米積出港となっていました。
北前船の西廻航路が開設されると、
商業港としても重要性を増し、
寄港誘致の為に定期的に市や芝居が開かれ、
更に津和野藩に港の使用を許可した為、
長州藩… 続きを読む
小浜湊は若狭湾の支湾小浜湾にあり、
東側に突出する松ヶ崎と、
西部に突出する鋸崎に囲まれ、
自然の防波堤を形成している為、
湾内は冬にも高潮が来ない良港。
「小濱湊」。… 続きを読む
中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島… 続きを読む
唐琴の瀬戸は牛窓と前島の間にある海峡。
牛窓は古くから西国航路の寄港地として栄え、
多くの舟が風待ち、潮待ちした場所。
万葉集や山家集にも詠まれており、
[牛窓千軒]と呼ばれた程に繁栄しました。
江戸時代に入ると… 続きを読む