温泉津は山陰街道の宿場でしたが、
石見銀山で産出した銀の積出港でもあり、
古くからの温泉地でもあった場所でした。
大田市温泉津町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが温泉津宿のあった場所。
街道筋からは外れますが、
JR温泉津駅より港側へ歩いてみます。
「小浜… 続きを読む
温泉津は山陰街道の宿場でしたが、
石見銀山で産出した銀の積出港でもあり、
古くからの温泉地でもあった場所でした。
大田市温泉津町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが温泉津宿のあった場所。
街道筋からは外れますが、
JR温泉津駅より港側へ歩いてみます。
「小浜… 続きを読む
沖泊は大田市温泉津町にある湾で、
世界遺産「石見銀山」の構成資産です。
石見銀山で産出した銀を陸送した後、
この沖泊で積み出したという。
「沖泊」。
周辺にも多くの谷状の湾がありますが、
どれも北西方向に開いている為、
冬季の季節風を受けやすくなっていますが、… 続きを読む
周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
「地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船… 続きを読む
新湊は岩国領(岩国藩)の海の玄関だった港。
初代吉川広家により今津川河口が開発され、
物揚場が築造されたのに始まり、
後に10代吉川経礼が麻里布湊を開発。
これが新湊と呼ばれるようになります。
北前船… 続きを読む
吉田松陰は嘉永2年6月に、
萩以北の海岸線を巡視しています。
これについて書かれた松陰の日記は無く、
僅かに代官の簡単な報告書が残るのみで、
その詳細は殆ど判りません。
嘉永2年6月28日~7月1日の間で、
松陰は江崎浦と田萬村を巡視したらしい。
江崎浦には松陰が宿泊したと伝わる家もあり、
現在も漁港として残りますが、
田萬村については下田万と… 続きを読む