兵庫津は8世紀初頭には大輪田泊と呼ばれ、
中国や九州へ向かう船が碇泊する港でした。
摂播五泊と呼ばれた地方の港でしたが、
延暦23年(804)には兵庫津より、
第4回遣唐使として最澄や空海が船出。
平安時代末期には平清盛… 続きを読む
兵庫県神戸市 兵庫津
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兵庫津は8世紀初頭には大輪田泊と呼ばれ、
中国や九州へ向かう船が碇泊する港でした。
摂播五泊と呼ばれた地方の港でしたが、
延暦23年(804)には兵庫津より、
第4回遣唐使として最澄や空海が船出。
平安時代末期には平清盛… 続きを読む
美保関は古くからの海上交通の要所で、
風待ちの港として栄えた港町。
大陸との交易の拠点でもあり、
たたら製鉄で造られた鉄が積み出され、
更に美穂神社の門前町でもあり、
室町時代には幕府直轄領になりました。… 続きを読む
沖泊は大田市温泉津町にある湾で、
世界遺産「石見銀山」の構成資産です。
石見銀山で産出した銀を陸送した後、
この沖泊で積み出したという。
「沖泊」。
周辺にも多くの谷状の湾がありますが、
どれも北西方向に開いている為、
冬季の季節風を受けやすくなっていますが、… 続きを読む
周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
「地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船… 続きを読む
新湊は岩国領(岩国藩)の海の玄関だった港。
初代吉川広家により今津川河口が開発され、
物揚場が築造されたのに始まり、
後に10代吉川経礼が麻里布湊を開発。
これが新湊と呼ばれるようになります。
北前船… 続きを読む
上関御茶屋跡の隣にある上関番所跡。
「旧上関番所」。
御茶屋跡の西側にある番所跡。
通行船の取締を行うと共に、
運上金の徴収事務を行った施設跡で、
その建物が移築現存しています。
番所は始めは四代に置かれていましたが、
上関海峡が通行の中心となった為に、… 続きを読む
田野浦は古くからの港町。
関門海峡の潮待ちの港として、
北前船の寄港が増加するようになると、
門司をも陵駕する繁栄を魅せたという。
門司区田野浦周辺。
埋め立てで海岸線は変わっており、
往時の集落は陸封されています。
「田野浦港」。
かつての浦は田野浦埠頭で覆われて、
河口のような船溜まりとなっています。… 続きを読む