吉田松陰」タグアーカイブ

大分県大分市 毛利空桑墓所

大分市常行に毛利空桑の墓所があります。
毛利家は代々鶴崎で医者をしていた家系で、
父の毛利太玄は苦学の末に医学を極め、
熊本藩の藩医を務めた他にも、
杵築藩岡藩日出藩にも招かれた名医。
空桑はその太玄の次男でした。


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山口県萩市 吉田松陰先生東送之碑

板堂峠から約650m側に下ると、
吉田松陰先生東送之碑」が設置されています。


吉田松陰先生東送之碑」。
昭和58年に㈶松風会により建立されたもので、
その書は内閣総理大臣岸信介によるもの。
松陰は安政の大獄江戸続きを読む

山口県大島郡 小松浦

周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。


地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船続きを読む

山口県岩国市 新湊

新湊岩国領(岩国藩)の海の玄関だった港。
初代吉川広家により今津川河口が開発され、
物揚場が築造されたのに始まり、
後に10代吉川経礼麻里布湊を開発。
これが新湊と呼ばれるようになります。
北前船続きを読む

山口県美祢市 友善塾跡

美祢市伊佐町の小さな公園がある場所に、
幕末期に[友善塾]という郷校がありました。
吉田宰判の代官となっていた玉木文之進が、
吉田松陰の叔父。
伊佐周辺に子弟が学べる機関が無かった為、
在住藩士らに郷校設立を勧奨。
これに応えた三戸久五郎高木謙蔵、… 続きを読む

吉田松陰の浦賀行③

//③
つづく。

6月7日、晴。
西浦賀に至り平根山に登る。
西浦賀には5門の大砲が連なり、
2~300挺のを皆が持ち、
海辺には番舟が数10隻並んでいる。
千代崎灯台下に至り… 続きを読む

吉田松陰の浦賀行②

/②/
つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi
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