福堂策 上 を読んでみる


密航未遂を犯した吉田松陰は、
に送還されて野山獄に収監されます。
そこで囚人らと獄中勉強会を行い、
その経験から監獄をただ収監する場所とせず、
福堂とするべきであると考えました。
そして安政2年6月1日の夜に、
以下の[福堂策 上]を記しています。
※今回は漢文ではなく口語訳を読んでます。

福堂策 上
元魏ノ孝文、罪人ヲ久しく獄ニ繋ギ、
ソノ困苦ニ因リテ善思ヲ生ゼ染ム

 北魏の孝文帝は罪人を長く獄に繋ぎ、
 その苦痛によって善の心が生じるとした。

因テ云ク、智者ハ囹圄を以テ福堂トスト
 よって曰く、
 智者は獄舎を以って福堂とすると。

此説、遽ニ聞ケバ理アルガ如シ、
 この説は聞けばその通りのようだか、
書生紙上ノ論、
 書生が机上で書いた論である。
多ク左袒スル所ナリ、余獄ニ在ルコト久シ、
 これの説が採用されて、
 各獄舎で長く用いられている。

親シク囚徒ノ情態ヲ観察スルニ、
 親しく囚人の情態を観察するに、
久シク獄ニ在テ、悪術ヲ工ム者アリテ、
 長く収監されて悪い事をする者ありて、
善思ヲ生ズル者ヲ見ズ。
 善意が生じる者は見ない。
然バ、滞囚ハ決シテ善治ニ非ズ、
 それなら滞牢は決して善政ではない。
故ニ曰、小人閑居シテ不善ヲ為スト、
 故に「小人は閉居すると不善を起こす」は、
誠ナルカナ、
 本当のことのようだ。
但、是ハ獄中教ヘナキ者ヲ以テ云ノミ、
 但しこれは獄中で教わらない者の事で、
若シ教アル時ハ何ゾ其レ
善思ヲ生ゼザルヲ憂ヘンヤ、

 もし教われば善意が生まれる事は、
 なにも憂うことはない。

曾テ米利幹ノ獄制ヲ見ルニ、
 かつてアメリカの獄制度をみた際、
往昔ハ一タビ獄ニイレバ、
 昔は一度獄舎に入れば、
多クハ其悪益々甚カリシガ、
 多くはますます悪くなっていたが、
近時ハ、善書アリテ教導スル故ニ、
 近頃は良い書物を以って教える為、
獄ニ入ル時ハ、更ニ転ジテ善人ニナルト云フ、
 入獄した後は転じて善人になるという。
如是ニシテ、始テ福堂ト謂フベシ、
 これをもって始めて福堂と云うべきである。
余是ニ於テ一策ヲ画ス、世道ニ志アル者、
幸ニ熟思セヨ、

 余はこの件について一策を考える。
 正しい道をゆかんと志しあるものは、
 これを深く考えなさい。


一、 新ニ一大牢獄ヲ営シ、
諸士、罪アリテ遠嶋セラルベキ者、
及ビ親類始末ニ逢ヒテ遠島セラルベキ者ハ、
先ヅ悉ク茲ニ入ル、
内、志アリ學アル者一人ヲ長トス。
親類始末ノコトハ、余別ニ論アリテ筆録トス、
此策ハ、只今ノ有様ニ就テ云フノミ、

 1、新たに大きな獄舎を建設し、
 諸士、罪あって遠島となるべき者、
 及び連座して遠島となるべき者は、
 まずはことごとく獄舎に入れる。


一、 三年ヲ一限トス、凡ソノ囚徒、
皆出牢ヲ許ス、但、罪悪改ムル事ナキ者ハ、
更ニ三年ヲ滞ラス、遂ニ改心ナキ者ニシテ後、
庶人ニ降シ遠島ニ棄ツ。「尤兇頑甚ダシキ者ハ、
三年ノ限ニ至ルヲ待タズ、是レヲ遠島ニ棄ツ」、
是れ皆獄長ノ建白ヲ主トシ、更ニ検覈ヲ加フ。

 1、3年を1期限としおおよその囚人は、
 皆出獄を許す、但し反省のない者には、
 更に2、3年滞留させる。遂に改心無き者は、
 庶民に降して遠島。「頑固さ甚だしき者は、
 3年の期限を待たずにこれを遠島とす」。
 これは皆獄長の建白を主として、
 更に調査した内容を加えたもの。


一、 長以下、数人ノ官員ヲ設ケザルコトヲ
得ズ、是レ獄長ノ建白ニ任ズベシ、
総テ獄中ノ事ハ、長に委任シ、長、私曲アリ、
或ハ獄中治マラザル時ハ、専ラ長ヲ責ム。

 1、獄長以下は官員が設けられておらず、
 これは獄長に建白に従うべき。
 獄中の事は全て獄長に任されているが、
 獄長に不正があったり獄中が乱れた際は、
 専ら獄長に責任を負わしている。 

一、 獄中ニテハ、読書、寡字、
諸種ノ学芸等ヲ以テ業トス、

 1、獄中においては読書や写字、
 諸種の学芸等をもって業とする。

一、 番人、獄中ノ人数多少ニ應ジ、五六名ヲ
設ケザルヲ得ズ。而シテ、
其ノ怠惰放肆ノ風ヲ厳禁シ、方正謹飭ノ者ヲ
用ユベシ。番人ハ組ノ者ヲ用ヒ、番人ノ長ハ、
士ヲ用フベシ

 1,番人は獄中に人数に応じて5~6名を、
 設けざるべきで、獄中の風紀を正し、
 方正謹飭の者を用いるべき。
 番人は組の者を選び、番人の長は、
 武士を用いるべきである。

一、 飲食ノ事ハ、郡夫ニ命ジ、
別ニ日々監司(後レ附ノ類)ヲ出シ監セシムベシ。
獄中銭鈔ヲ貯ヘ、恣ニ物ヲ買フヲ厳禁シ、
各人ノ仕送リ銀ハ、番人中、一人ヲ定メ、
是レヲ司ラシム(即今野山獄ノ肝煎ノ如シ)

 1、飲食の事は郡夫に命じるが、
 別に日々役人を出して監督する事。
 獄中は金銭を蓄えて簡単に買物はさせず、
 各人の仕送銀は番人の一人が管理する。

 (これは野山獄の肝煎のようなもの)
一、 獄中、断ジテ酒ヲ用ふルコトヲ許サズ、
酒ハ、損アリテ益ナシ(此事不易ノ論アリ、
茲ニ贅セズ)

 1、獄中では断じて酒を出す事は許さず、
 酒は損はあっても得は無し。
 (この事は不易の議論があったが、
 ここでは書かない)

一、 隔日、或ハ両三日隔テテ、
御徒士目付ヲ廻シ、月ニ両三度ハ、
御目付ノ廻リモアルベシ。廻リノ時ハ、
獄中ノ陳ズル所ヲ詳聴スベキハ勿論ナリ。

 1、隔日、或いは両3日を隔てて、
 御徒士目付が見廻りをし、
 月に両3度は御目付の見廻りもするべき。
 見廻りの際は獄中で変わった所を、
 取り調べるのは勿論である。

一、 醫者ハ、毎月三四度廻スベシ、
若急病アレバ、願出次第、
医ヲシテ来診セシムベシ。附人ノ事、
湯水ノ事、江戸獄中ノ制ニ倣フヲ可ナリトス。

 1、医者は毎月3~4度派遣するべき。
 あるいは急病の際は願い出次第、
 医者を出して診療するべき。
 医者の付き人や湯水の事は、
 江戸の獄中の制度を参考にしても良い。

一、 獄中画一ノ制ヲ作リ、
板ニ書シテ楣ニ掲グベシ。

 1、獄中で統一した制度を作成し、
 これを板に書いてまぐさに掲げるべき。

右ニ論列スル所ニ従ッテ、一牢獄ヲ営セバ、
 右に論列するところに従って牢獄を営めば、
其ノ福堂タルモ亦大ナリ
 それが福堂たりえる可能性も大きい。
余、幸ニシテ格外ノ仁恩ニ遇テ、
 余は幸いにも格別な恩赦があり、
萬死ノ誅ヲ減ズルコトヲ得、
 万死に値する罰を滅する事となり、
其ノ身ヲ岸獄ニ終フル、
 その身を獄中に残す事が出来た。
固ヨリ自ラ安ンジ自ラ分トスル所ナリ、
 もちろん安心しているところであるが、
然レドモ國恩ノ大、未ダ涓埃ヲ報ズルヲ得ズ、
深ク忸怩スル所ナリ、

 けれどもその大きな国恩に報いておらず、
 深く恥じいるところである。

因リテ願フ、若シ新獄ノ長トナルコトヲ得バ、
 よって願う。もし新しい獄舎の長となれば、
或ハ微力ヲ伸テ万一ヲ庶畿スルコトヲ得ン、
 或は微力ながら万一を叶える事も出来よう。
但シ、囚中、其ノ才学余ニ過グル者アラバ、
 但し獄中で余より優れた者がいれば、
余も亦敢テ妄リニ其ノ前ニ居ラザルナリ、
 余もまたその人物に前を譲るだろう。
余野山獄ニ来リテヨリ、日々書ヲ読、
文ヲ作リ、

 余は野山獄に来てより日々書を読み、
 文書を書き、

傍ラ忠孝節義ヲ以テ
同囚ト相切磋スルコトヲ得、

 その傍らで忠孝節義を以ち、
 同囚らと切磋琢磨する事が出来、

獄中駸々乎トシテ化ニ向フノ勢アルヲ覚フ、
 獄中がはや変わって来ているようだ。
是レニ因リテ知ル、
福堂モ亦難カラザルコトヲ、

 こうなってから思うと福堂となることも、
 難しくはないだろう。

且ツ人賢愚アリト雖モ各々一、
二ノ才能ナキハナシ、

 人には賢愚があるというが、
 それぞれに1~2個の特技はある
湊合シテ大成スル時ハ、
必ズ全備スル所アラン、

 湊合して大成する時が来たら、
 必ずこれが役に立つであろう。

是レ亦年来人ヲ閲シテ実験スル所ナリ、
 これはまた前々から人を観察して、
 研究を行っている事である。

人物ヲ棄遺セザルノ要術、
是レヨリ外、復タアルコトナシ、

 人物を見捨てないという理由は、
 これよりほかにはないであろう。

當今、動モスレバ人ヲ遠嶋ニ処ス、
 今頃はともすれば人を遠島にする。
余、精シク在島ノ容子ヲ聞クニ、
 余は詳しく島での様子を聞くと、
降シテ庶人トナスヨリモ甚シ、
 堕ちて庶民となるよりも酷く、
全ク百姓ノ奴隷トナルナリ、
 全く百姓の奴隷の如くであるという。
堂々タル士人ヲシテ此ノ極ニ至ラシムルコト、
豈匆々ニスベケンヤ。

 堂々たる武士であった者が早々と、
 そこまでに至るというようである。

故ニ、余ハ、先ヅ獄ニ下シ、
必ズ已ムコトヲ得ザルニ及ンデ、

 故に余はまず獄舎に入れて、
 必ず終わることが出来ると教え、

然ル後遠島ニ処セント欲、
是レ忠厚ノ至リナリ、

 そのうえで遠島にした方が良い。
 これが優しさであろう思う。

但シ、放縦ハ、人情ノ安ンズル所ニシテ、
厳整ハ、其ノ厭フ所ナレバ、

 但し節度がないの人を堕落させて、
 厳正なのは人が嫌がる事なので、

右ノ如ク制ヲ定ムル時ハ、
必ズ悦バザル者衆シ、

 右のような制度を定めれば、
 必ず反対する者が多くいるだろう。

然レドモ、是レニ非ザレバ福堂ノ福ヲ
成スニ足ラズ、

 しかしこれでなければ福堂の福を、
 成す事には至らず、

方今庶政維新ニ、百弊革メザルハナシ、
 現行の制度の多くの弊害を、
 改める事はできないでしょう。

獨リ囚獄ノ政ニ於テ、
未ダ至ラザルモノアルヲ覚ユ、

 ひとつの牢獄の制度において、
 未だ至らざる事があると知る。

故ニ、余故ラニ私ニ策スルコト此如、
 故に余は自ら策を考えた。
然ドモ、是独リ士人ノ獄法ヲ論ズルノミ、
 しかしこれは一人で獄法を論じたのみ、
庶人ノ獄ニ至テハ、更ニ定論アリ、
 庶民の獄法に至っては更に考えがあるが、
今未ダ贅スルニ暇アラズ
 未だこれを書する暇がない。
 安政乙卯六月朔丙夜、
  是を野山獄北第一房に於て書す


以上が「福堂策 上」です。
松陰が野山獄に入獄して考えた事や、
その改善が記されていました。
普通の事が書かれでいるように感じますが、
当時としては画期的だったのでしょう。

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