最近体罰がどうのと聞こえてきます。
僕の個人的な意見としては、
「体罰大意に結構!」でも、
「体罰は絶対ダメ!」でもなく、
まだよく定まっていません。
現時点でウチの子供に手を上げたことは、
全くありませんし、
これからも上げるつもりはありません。
僕自体も親、教師、上司から、
体罰を受けた事はなく、
体罰とは無縁の人生でした。
子供を甘やかしているかといえば、
けしてそうではなく、
悪い事や危険な事をしたら、
ちゃんと言い聞かせてますし、
みよちゃんやゆきちゃんも、
言えばちゃんと理解します。
子供だってわかるように言ってやれば、
しっかり理解するんですね。
・・と書けば、
「体罰絶対ダメ!」ってなるのですが、
そうははっきり言えない。
僕の人生においても、
話し合っても無理な人間はいましたし、
そういう人にはどうすればいいか、
僕にはまだわかりません。
「コイツ殴らないとわからんな・・」と、
社会で実際に思った事は多々あります。
勿論一度も殴った事はありませんが、
そういう人は去っていくことになる。
縁があって一緒に仕事してるんだし、
仲間として良くなってもらいたいって、
純粋に思ってるんですけどね。
伝わりません。
やり方の違いとか、
そう言う事ならいいんですよね。
やらせてみて失敗させて、
何度か経験させるとかで、
やっとわかる程度でいいんです。
でも絶対にやっちゃいけない事とかがある。
会社に損失を与える事とか、
命に関わる危険なやり方とか。
1回でとりかえしのつかない事になる。
そういう絶対にやっちゃいけない事は、
簡単にやらせるわけにはいかない。
絶対にやってはいけないと、
理解させないといけない。
そういう場合は、
ペナルティを科す事で抑止する。
ある工事現場の高所作業で、
安全帯無しで作業していた場合、
それが発覚したらその作業員、
若しくは所属の会社は出入禁止。
よくあるパターンです。
だから下請会社は作業員に、
安全帯の着用を徹底させる。
要はペナルティなんですよね。
絶対やってしまうんですよ人って。
だから国だって刑法を作ってるんだし。
体罰もペナルティのひとつなのでしょう。
出来なかったら殴る。
悪い事をしたら殴る。
手っ取り早いペナルティではあります。
体罰って大まかに言い過ぎるけど、
一括りにするからいつまでも減らない。
熱い鉄板やストーブを触ろうとした子供に、
ダメって手をパチンってするのも体罰。
ボッコボコに殴るのも体罰。
同じ土俵で考えたらダメじゃない?
線引きをしっかりするべきです。
跡が残るとか、
後遺症になるとかはダメだけど、
別に軽いのはいいんじゃないかな?
だって座禅で警策を頂くのも体罰ですよね。
あれもダメってことになる。
ちなみにですが江戸時代の日本は、
世界に類を見ないほどの識字率でした。
武士階級は勿論100%ですが、
庶民も殆ど読み書きできたという。
これは武士の藩校や庶民の寺子屋など、
子供が勉強できる環境だったからですが、
現場で体罰は見られなかったという。
日本を訪れたルイス・フロイスは、
「我々は鞭で打って息子を懲罰するが、
日本では言葉によって譴責するだけである」と記し、
幕末、明治に日本へ来た外国人達も、
日本人が子供に体罰をしない事に驚き、
また子供達が皆笑顔にあふれ、
幸福そうだと言っています。
ペナルティは居残りとか立たせるとかで、
家庭でも夕飯抜きとかだったとか。
そんなんでいいのでしょうか?
そんなんでいいと思う。
子供は十分な愛を与えてやれば、
必ず親を見習ってくれるはずです。
結局、ダメなの?いいの?って感じですが、
要は教える方に問題があるのだと思う。
怒りに任せて殴るのって体罰ではなく、
私的制裁ではないでしょうか?
「なんでそんな事もできないんだ!」って、
殴るのとは違う。
それってただのパワハラですよね。
暴力教師ってそういう系の人多いと思う。
「体罰は許されるものではない」と、
お題目のようにTV等で聞こえてきますが、
なんだかとっても気持ちが悪い。
じゃあどうするんだって議題は、
全くあがらない。
仮に体罰を肯定するのであれば、
①事前に約束しておいて(法律)、
②それを破った場合(違反)、
③それについて散々話し合った結果(裁判)、
④体罰を与えると相手に警告して(判決)、
⑤相手の了承を取り(控訴上告)、
⑥その上で体罰を行うべき(執行)。
なんなら体罰顛末書なんて、
書類の作成も必要でしょう。
そのくらいするのであれば、
体罰もOKじゃないですか?
今の体罰って私的制裁なだけだから、
それを法的制裁にすればいい。
しっかり規定を設けてね。
まあ無理でしょうけどね。
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