長州に逃れた中山忠光は潜伏先を転々とし、
田耕の大田新右衛門宅に2ヶ月弱程潜伏し、
その後は更に奥地の四恩寺に向かいます。
これは僕なりの推測なのですが、
脱走を繰り返して辺りを歩き回る忠光に、
幕吏の追求を恐れた長府藩の俗論派は、
四恩寺に座敷牢… 続きを読む
下関市豊北町 四恩寺跡
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長州に逃れた中山忠光は潜伏先を転々とし、
田耕の大田新右衛門宅に2ヶ月弱程潜伏し、
その後は更に奥地の四恩寺に向かいます。
これは僕なりの推測なのですが、
脱走を繰り返して辺りを歩き回る忠光に、
幕吏の追求を恐れた長府藩の俗論派は、
四恩寺に座敷牢… 続きを読む
湯玉浦は北浦にある漁村のひとつですが、
鯖釣山が浦を守るように聳えていた為、
良港として漁民のみでなく北前船も寄港し、
旅館なども設置されて栄えていました。
吉田松陰の[廻浦紀略]では、
150戸で近頃200余戸になったと書かれ、
繁栄の様子が感じられます。
「湯玉港」。
現在も小型の漁船が停泊する港町で、… 続きを読む