法華寺は徳地にある真言宗寺院。
天平11年(739)に光明皇后の許しを得て、
行基が諸国に創建させた法華寺のひとつで、
長門国法華寺として豊浦村にあったもの。
明治6年に赤間関東南部町に移転し、
更に明治30年に現在地に移転しています。
「法華寺」。… 続きを読む
山口県山口市 法華寺/第三銃隊屯所跡
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法華寺は徳地にある真言宗寺院。
天平11年(739)に光明皇后の許しを得て、
行基が諸国に創建させた法華寺のひとつで、
長門国法華寺として豊浦村にあったもの。
明治6年に赤間関東南部町に移転し、
更に明治30年に現在地に移転しています。
「法華寺」。… 続きを読む
昌福寺は徳地にある曹洞宗の寺院。
元々は福生寺という尼寺だったようで、
後に荒廃していたものを、
慶長元年(1596)に雲甫永岳和尚が再興し、
正福寺となったとされます。
「昌福寺」。
正福寺は明治3年に… 続きを読む
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
興隆寺は推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む
入江九一と野村靖の兄弟は、
足軽入江嘉伝次の子として生まれ、
共に松下村塾に入門して学びました。
後に兄は松門四天王に数えられ、
弟は明治政府で大臣を歴任しています。
「入江九一 野村靖誕生地」。… 続きを読む
明治9年に前原一誠らは旧士族を招集し、
他所の士族反乱に呼応して挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この計画が事前に察知されていた為、
計画を変更して山陰を東上し、
天皇への直接直訴を計画しました。
海路にて浜田へ向かいますが、
悪天候により国境手前の江崎湊に寄港。
ここで近親者が処罰されていると聞き、… 続きを読む
小方家墓所の近くには、
第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎の碑があります。
※小方家とは小方謙九郎の妻艶子の妹が、
剛十郎の妻という縁があった。
「楢崎剛十郎源義綱君碑(右)」、
「山縣有朋歌碑(左)」。
陸軍中尉三好重臣… 続きを読む