①/②/③
つづき。
5月23日。
朝、五代と英人ミユルヘツトを訪ねる。
※英宣教師ウィリアム・ミュアヘッド。
半世紀にわたり上海に滞在した人物。
ミユルヘツトは耶蘇教師で、
耶蘇教を上海市民に教えている。
城内の… 続きを読む
「高杉晋作」タグアーカイブ
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高杉晋作の上海掩留日録②
高杉晋作の上海掩留日録①
下関市新地西町 伊崎新地遊郭跡
遊郭跡や古い街並みを紹介するサイトでは、
結構知られている下関の新地遊郭跡。
国道191号線沿いから遊郭跡の建物が見え、
その存在は知ってはいましたが、
近代に発展した遊郭と思っていた為に、
それ程興味はありませんでした。
でもよく調べてみると歴史は意外と古く、
享保年間(1716-1735)に成立した模様。
これは一度行って見ねばと、
幾度も通りながらスルーした街並みを、
今回は初めて歩いてみます。
元々赤間関… 続きを読む
山口県山口市 正慶院/奇兵隊本陣跡
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/東行庵主の墓
慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓
高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む