土山宿は東海道の49番目の宿場町。
難所である鈴鹿峠を控える宿場で、
峠越えに向かう旅人が英気を養い、
峠を越えて来た旅人が疲れを癒しました。
「歌川広重 東海道五十三次 圡山」。
土砂降りの雨の中を進む大名行列。
土山町南土山周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが土山宿跡。
西側より散策。
国道1号線から土山宿跡へ。
訪問時は日暮れ前で、
また今度にしようか迷いましたが、
なかなか来るチャンスも無いので、
決心して行っていました。
街道は全てアスファルト洗い出し舗装で、
宿場の雰囲気を壊さないようにしています。
「大黒橋」。
宿場を横断する吉川に架かる橋。
元々は土橋が架けられていましたが、
江戸時代末期から明治時代初期頃に、
本陣を務めた大黒屋立岡長兵衛により、
石橋に架け替えられたとのこと。
以降は大黒橋と呼ばれたようです。
「土山宿陣屋跡」。
寛政12年(1800)に消失するまで、
土山代官の屋敷が置かれた場所。
その後は信楽代官所に移り、
多羅尾家が代官を世襲しました。
「本陣大黒屋跡」、
「土山宿問屋場跡」、
「高札場跡」。
土山宿本陣は土山家が務めてましたが、
大名の宿泊が増加した為に、
土山家だけでは対応が出来なくなり、
大黒屋立岡家が控えの本陣となっています。
更に問屋場も努めたようで、
門前には高札場も設置されました。
街道は緩やかに登り坂となります。
宿場の雰囲気はかなり良く残り、
日没が近づくのを焦りながら、
楽しく歩きました。
「本陣土山家邸跡」。
本陣を務めた土山家邸跡。
土山家は甲賀武士土山鹿之助を初代とし、
3代土山喜左衛門の頃に本陣となりました。
「明治天皇聖蹟(奥)」、
「井上圓了漢詩碑(手前)」。
明治天皇は明治元年9月22日に、
この土山家に宿泊していますが、
偶然にもこの日が誕生日であった為、
土山家で祝賀式が執り行われて、
土山宿全戸に酒肴が下賜されています。
「土山宿問屋宅跡」。
土山家の屋敷にも劣らない建物。
説明板が設置されてはいますが、
問屋場の説明だけで、
何家の建物かはよく判りません。
「問屋場跡」。
こちらも問屋場跡。
時代と共に問屋場は移ったようで、
余り詳しくは判っていない模様。
「本陣二階家堤家邸跡」。
こちらも本陣を務めた二階家堤家邸跡。
土山家と比べて規模は2/3程度で、
小規模な本陣であったという。
幕末期には衰退していたとされ、
大黒屋がその役を代わっています。
この先で街道は下り坂。
そろそろ暗くなってきましたが、
最期まで歩く事とします。
「来見橋」。
来見川に架かる来見橋。
大黒橋と同じく欄干が白壁風で、
土山茶もみ唄の歌詞が記されています。
土山は滋賀県最大の生産量を誇るお茶処。
更に宿場は続き古い建物が軒を連ねますが、
そろそろ暗くなってきました。
町並みは一度途切れた後にまた復活。
土山宿の東端辺りで更に暗くなり、
一気に暗くなりました。
訪問時は殆ど人はいませんでしたが、
客引きが旅人を招き入れる時間で、
考えたら往時で一番活気があるのは、
日没前だったかも?
そんな事を考えながら歩きました。
■東海道の宿場町
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