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つづき。
水口宿は水口城の城下町と、
旧来の水口岡山城の城下町からなり、
その二つは「馬渡川」で分けられ、
「石橋」で結ばれていました。
石橋を渡って東側へ。
「三筋の町」。
町筋は三本の道に分けられており、
これらは平行に伸びて後に繋がります。
東海道はこのうちの中央の道。
街道は「米屋町」、「伴町」、「夷町」、
「柳町」、「大池町」、「葛籠町」と続きます。
「問屋場跡」。
人馬継立を差配した問屋場跡。
宿内有力者がその運営にあたりますが、
何家がこれを務めたのかは、
調べても判りませんでした。
「旅籠町」。
古い町並みが残る旅籠町。
文字通り旅籠屋が軒を連ねていました。
ここで南側の通りと合流します。
「高札場跡」。
復元された高札場。
札の辻と称されていた場所で、
北側の通りに合流します。
旅籠町から作坂町へ。
ここから少し坂になっている為、
造られた坂なのかと思いましたが、
造酒からの転化らしい。
「本陣鵜飼家跡」。
代々本陣を務めた鵜飼家邸跡。
間口は一般の三軒分あったようで、
大名や幕府の高級役人が宿泊しました。
明治天皇も明治2年に宿泊していますが、
それが最後の仕事であったとのこと。
「明治天皇聖蹟」。
本陣跡奥に建立された聖蹟碑。
明治天皇は明治元年9月22日と、
12月20日に本陣鵜飼邸で休憩しており、
明治2年3月8日には宿泊もしています。
「脇本陣跡」。
脇本陣の建物の一部が現存。
元々はもっと大きな家屋だったようで、
水口随一の大型町家だったとのこと。
こちらも何家だったのか判りません。
「松繁町」。
坂を登ると松繁町。
国道307号線が横断しており、
その先が片町となっています。
「東見附跡」。
水口宿の東端にあたる東見附跡。
天和2年(1682)に柵が設置されており、
木戸や番所が置かれていました。
ここから東へ向かえば土山宿です。
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■東海道の宿場町
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