滋賀県甲賀市 水口宿跡②

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つづき。

水口宿水口城の城下町と、
旧来の水口岡山城の城下町からなり、
その二つは「馬渡川」で分けられ、
石橋」で結ばれていました。

石橋を渡って東側へ。

三筋の町」。
町筋は三本の道に分けられており、
これらは平行に伸びて後に繋がります。
東海道はこのうちの中央の道。


街道は「米屋町」、「伴町」、「夷町」、
柳町」、「大池町」、「葛籠町」と続きます。


問屋場跡」。
人馬継立を差配した問屋場跡
宿内有力者がその運営にあたりますが、
何家がこれを務めたのかは、
調べても判りませんでした。


旅籠町」。
古い町並みが残る旅籠町
文字通り旅籠屋が軒を連ねていました。
ここで南側の通りと合流します。


高札場跡」。
復元された高札場
札の辻と称されていた場所で、
北側の通りに合流します。

旅籠町から作坂町へ。
ここから少し坂になっている為、
造られた坂なのかと思いましたが、
造酒からの転化らしい。

本陣鵜飼家跡」。
代々本陣を務めた鵜飼家邸跡
間口は一般の三軒分あったようで、
大名幕府の高級役人が宿泊しました。
明治天皇も明治2年に宿泊していますが、
それが最後の仕事であったとのこと。


明治天皇聖蹟」。
本陣跡奥に建立された聖蹟碑
明治天皇は明治元年9月22日と、
12月20日に本陣鵜飼邸で休憩しており、
明治2年3月8日には宿泊もしています。


脇本陣跡」。
脇本陣の建物の一部が現存。
元々はもっと大きな家屋だったようで、
水口随一の大型町家だったとのこと。
こちらも何家だったのか判りません。


松繁町」。
坂を登ると松繁町
国道307号線が横断しており、
その先が片町となっています。


東見附跡」。
水口宿の東端にあたる東見附跡
天和2年(1682)にが設置されており、
木戸番所が置かれていました。

ここから東へ向かえば土山宿です。

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■東海道の宿場町

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