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水口宿は東海道の50番目の宿場で、
水口藩の城下に置かれていましたが、
その歴史は城下町よりも宿駅の方が古く、
室町時代よりその機構があったという。
「歌川広重 東海道五拾三次 水口」。
水口名物である干瓢作りが描かれています。
甲賀市水口町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが水口宿跡。
西側より散策。
「西見附跡」。
木戸や番所が置かれていた場所。
その境界として見附川が流れています。
水口城築城前の東海道は真っ直ぐ伸び、
迂回はしていなかったようですが、
築城によって道は北側に変えられました。
西見附を過ぎれば街道は左折。
「水口一里塚跡」。
街道は五十鈴神社南西角を右へ。
「北邸町」。
北邸町には百閒長屋がありましたが、
街道沿いには出入口は無く、
南側の城内にのみあったとされます。
街道には与力窓と呼ばれた高窓があり、
与力らはそこから買い物をする為、
物売りが集まっていたとのこと。
「水口石」。
北邸町の東端から街道は左折。
右折すると水口城の小坂町御門に至り、
水口城の北西側の入口となっていました。
その角に水口石と呼ばれた石があり、
昔、怪力の大井子という女が、
水争いをする村人達に怒り、
この大石を持って水口を止めて、
その争いの原因を絶ってしまったという。
村人らがいくら大石を動かそうとしても、
誰も全く動かすことは出来ず、
大井子に争いを止める事を誓いました。
これを聞いた大井子は大石を動かし、
以降は水争いは無くなったという。
「小坂町」。
北側に短く伸びる町で、
街道は突き当りを右折します。
「天神町」。
古くからあった町でしたが、
水口城の築城で北に移動しています。
古い商家も残っていました。
「北町」。
街道は突き当りを南へ。
街道が北へ迂回された事で成立した町で、
一時は伝馬町にもなっていました。
街道は突き当りを左折。
右側は水口城の天王口御門跡で、
その内側は武家町になっていました。
街道はここから直線となっており、
「河内町」、「天王町」と続きます。
つづく。
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■東海道の宿場町
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