羽犬塚宿は薩摩街道の3番目の宿場町。
この不思議な地名の由来は諸説あり、
どれも豊臣秀吉が関係しています。
筑後市羽犬塚周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが羽犬塚宿跡。
南側より散策。
「藤島橋」。
花宗川に架かる藤島橋。… 続きを読む
福岡県筑後市 羽犬塚宿跡
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羽犬塚宿は薩摩街道の3番目の宿場町。
この不思議な地名の由来は諸説あり、
どれも豊臣秀吉が関係しています。
筑後市羽犬塚周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが羽犬塚宿跡。
南側より散策。
「藤島橋」。
花宗川に架かる藤島橋。… 続きを読む
原町宿は薩摩街道の5番目の宿場で、
柳河藩領となっていたようです。
藩は領内の5つの町を五ヶ町として指定し、
※瀬高町、三池町、江浦町、原町、野町。
商人、職人の町としていますが、
この原町もその五ヶ町のひとつでした。… 続きを読む
今宿は唐津街道の宿場町。
姪浜宿と前原宿の距離が遠かった為、
その中継点として作られた半宿でした。
今宿周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが今宿跡。
東側より散策。
「今宿交差点」。
今宿の東側の入口にあたり、
ここから西側が横町… 続きを読む
前原宿は唐津街道の宿場町。
福岡藩の支配する宿場の最西端で、
同藩の別の宿場と同様に、
宿場の両端に構口が設けられていました。
筑前前原駅北側。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが前原宿跡。
「東構口跡」。
往時は他の宿場と同様に構口が設置され、
番所が建てられていたとされます。
宿場の通りは道の色… 続きを読む
深江宿は唐津街道の宿場町。
唐津藩、幕府、中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む
浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む