渡川は山陰街道の半宿。
周防大内家により渡川城が築城され、
文明2年(1470)の大内道頓の乱の際には、
陶弘護が挙兵した道頓勢を撃退しています。
阿武川北側の田園地帯にあったようで、
街道は田園を横切って南下しており、
文字通り阿武川を[渡川]しています。
JR渡川駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渡川宿跡。
「… 続きを読む
山口県山口市 渡川宿跡
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渡川は山陰街道の半宿。
周防大内家により渡川城が築城され、
文明2年(1470)の大内道頓の乱の際には、
陶弘護が挙兵した道頓勢を撃退しています。
阿武川北側の田園地帯にあったようで、
街道は田園を横切って南下しており、
文字通り阿武川を[渡川]しています。
JR渡川駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渡川宿跡。
「… 続きを読む
地福は中国山地に囲まれた集落で、
海抜は約300mながら平坦な盆地で、
灌漑の便が良い事から開拓が進められ、
田園地帯となっていました。
村内に山陰街道が通っていた為に、
半宿にもなっていたようです。
「御国廻御行程記 地福(一部)」。
上の道が山陰街道ですが、
絵図を見る限り家屋は少なく、
阿武川対岸の方が多く感じられます。… 続きを読む
由良宿は山陰街道の宿場町。
宿場の他に由良川の河運の拠点であった為、
藩蔵が13棟も設置されていたようで、
流域の年貢米が集められていました。
北栄町由良宿周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが由良宿跡。
「由良宿跡」。
由良宿内には多くの店舗が軒を連ね、… 続きを読む
八橋宿は山陰街道の宿場町。
高比売命が当地に下向した際、
暗雲が立ち込め八匹の大蛇が現れたとされ、
まるで八つの橋のように見えたという。
高比売命が素戔嗚尊に加勢を念じると、
その八匹の大蛇は瞬く間に消失。
あたりは青天となったとのこと。
この故事から[八橋… 続きを読む
赤碕宿は山陰街道の宿場町。
良港であった赤碕湊は鳥取藩に重要視され、
領内六大湊に数えられていたようで、
※他は境湊、米子湊、浦富湊、賀露湊、… 続きを読む
下市宿は山陰街道の宿場町。
汗入郡と八橋郡の郡境に近かった為、
軍事的に重要な場所であった事から、
下市城が築かれていました。
戦国時代には吉川元春の所領となっており、
家臣の森脇若狭守にこの地を守らせ、
次代吉川広家… 続きを読む
御来屋宿は山陰街道の宿場町。
元々は名和荘と呼ばれた地で、
国人領主名和氏が治めていました。
元弘の乱で討幕を画策した後醍醐天皇は、
計画が露呈した為に隠岐に流されますが、
翌年に脱出して名和湊に上陸。… 続きを読む