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郷田(現江津本町)は古くからの交通の要所で、
北前船の寄港地でもありながら、
天領米の積出港でもありました。
その川岸には4~50隻の帆船が林立し、
近隣の港で入港待ちをする船がある程、
混雑ぶりであったとされています。
「天領江津本町甍街道(現地案内地図)」。
甍(いらか)とは瓦葺屋根の事で、
石州瓦の商家が建ち並ぶ街道という意。
川岸から多くの廻船問屋が軒を並べ、
その中心を山陰道が貫いていました。
山陰道の陸路、西廻航路の海路、
そして[江の川]の河運が交わっており、
大きく経済的発展を遂げていたようです。
江津本町周辺。緑の線が山陰街道で、
青くぼかした辺りが郷田宿跡。
西側より散策。
「土床坂」。
西側より郷田宿に入る石畳の土床坂。
長さ約105m、幅1.8mの直線的な坂で、
勾配は約20%となっており、
状態よく石畳が残っています。
季節柄残念ながら落葉で埋もれていました。
土床坂より郷田宿へ入った辺り。
緩やかな坂道、片側水路、瓦葺の建物と、
宿場跡の雰囲気を残しています。
この直線の坂を下ると町の中心。
「竹下窯跡」。
街道沿い北側に見える登窯跡。
明治20年創業の石見焼の登窯とされますが、
江戸期は冲田屋横田家の窯であったとも。
往時は14連の登窯だったとされ、
そのうちの11連が残っているとのこと。
「藤田佳宏家住宅主屋」。
国の登録有形文化財の建物で、
江戸末期に建てられた庄屋級住宅とのこと。
昭和初期の町長宅だったようです。
藤田佳宏家住宅の横の路地より小山へ。
「飯田家墓所」。
小山の頂上にある豪商釜屋飯田家の墓所。
飯田久左衛門美景、飯田延太郎美英等、
幕末や明治期の当主の墓があります。
飯田家については後編で紹介。
「長州藩士の墓」。
飯田家墓所より少し一段下がった場所に、
長州藩士5人の墓があります。
石州戦争後に駐屯した藩士のものですが、
墓石は破壊されて被葬者は不明。
小山を降りて街道沿いを東へ。
藤田佳宏家住宅を過ぎると道は広くなり、
街の中心へと入ります。
少し行くと街道は北側に折れて進み、
更に緩やかなカーブで江の川の河岸へ。
街道から外れて東側に寄り道。
「長州藩陣屋跡」。
石州戦争後の慶応2年から明治2年まで、
振武隊が駐屯していたとされますが、
資料によって場所が違うので、
正確な位置はよくわかりません。
写真の場所よりもっと北東側かもです。
つづく。
①/②
■山陰街道の宿場町
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