紀伊田辺城は紀州藩の浅野家時代に、
家老浅野左衛門佐知近によって築城され、
一国一城令の際に陣屋に改築されたという。
紀州藩に徳川頼宣が入封してからは、
田辺領3万8000石が附家老安藤家に与えられ、
代々安藤家がその城主を務めています。
元々会津川河口に築城された平城の為、
城から陣屋への転換は曖昧だったと思われ、
その程度の改修が行われたか不明ですが、
以降も「田辺城」と称されていることから、
天守を無くす程度のものだったのでしょう。
「錦水公園」。
平城は廃城されて堀が埋め立てられると、
殆ど遺構は消滅してしまいます。
紀伊田辺城も例外ではないようで、
殆ど遺構は残っていません。
唯一の遺構ともいえるのは水門跡で、
これが保存されて公園化しており、
城の別名である錦水城から、
「錦水公園」と名付けられています。
「田辺城水門跡」。
会津川に面した水門の跡で、
年貢米搬入等に使用されたという。
市街には石垣跡も少しは残っており、
僅かながらその面影を残しています。
「会津川」。
水門跡より望む会津川の河口付近。
会津川は河口から約1kmで二手に分かれ、
右会津川と左会津川となります。
左会津川は果無山脈の槇山を源とし、
右会津川は果無山脈の虎ヶ峯がその源。
領内の年貢は両川より運ばれたようです。
安藤家は紀州藩御附家老の筆頭で、
歴代当主は執政として藩政に関与し、
和歌山城下に居住していたようで、
安藤直隆の系譜が代々城代を務め、
田辺領の行政を担当していました。
※初代当主安藤直次の従弟。
維新後に安藤家は独立を認められ、
紀伊田辺藩を立藩していますが、
明治4年の廃藩置県で廃藩しています。
【紀伊田辺藩】
藩庁:紀伊田辺城
藩主家:安藤宗家
分類:3万8000石、維新立藩
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