高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ

高杉晋作の甲子残稿

[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩続きを読む

高杉晋作の観光録

高杉晋作は文久3年に交友録として、
[観光録]を書いています。
交友のあった志士らが記載されており、
意外な繋がりを知る事が出来て、
羅列ながら色々と想像すると面白い。

[観光録]
久米藩、田中紋次郎、今井彦三郎、
肥前、中牟田倉之助、能萬介次郎、
同、草場叉三、森傳二郎、
濱松、名倉予何人、
大坂住伊藤軍作、水戸浪大橋熊次、高田
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広島県安芸高田市 高杉山城跡

長州藩大組高杉家(高杉晋作)のルーツとして、
三次市の高杉城が知られていますが、
安芸高田市に高杉山城なる城跡があり、
こちらも高杉家のルーツとされています。
城跡には高杉家が碑を建立しており、
どちらがルーツなのかはっきりしません。


吉田町西浦周辺。
赤丸の場所に高杉家先祖の墓があります。
城跡とはいえ小山があるだけで遺構はなく、
更にその小山も小さなものなので、
小規模な砦続きを読む

山口県山口市 高杉小忠太邸跡他

高杉晋作はその死の直前に、
両親の為に山口に屋敷を建てたとされ、
高杉小忠太ら両親や兄弟、
妻のや長男高杉東一が越して来て、
明治10年まで住んでいたという。


高杉小忠太邸跡」。
山口市白石一丁目にある高杉邸跡。
現在は取り壊されて別の住宅が建っており、
道筋以外に面影はありません。… 続きを読む

東京都台東区 谷中霊園/大野右仲墓所

天王寺墓地にある大野右仲の墓。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
 寛永寺墓地、天王寺墓地も含め、
 谷中霊園として記事にしています。

大野右仲といえば高杉晋作の友人ながら、
後に箱館新選組の隊士となっており、
土方歳三と共に戦った稀有な人物です。


大野氏累代之墓続きを読む

四国連合艦隊の彦島租借要求

高杉晋作下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。

結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がない続きを読む

高杉晋作の航海日録③

//③
つづき。

続航海日録
文久2年7月5日
午後、蒸気船が来て本船を引く。
支那人の水先が船主に代わり号令。
逆潮を下って碇泊船の間を通る。
初めは船針を北へ向け、
右折して南東に向かい、
また左折して北へ向かう。
呉淞江に至る頃には日は落ちており、… 続きを読む