高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ

福岡県福岡市 高杉晋作筑前上陸地

元治元年11月4日。
高杉晋作長州藩から亡命し、
福岡藩の脱藩浪士中村円太の案内の許、
筑前国博多に上陸しました。
晋作が上陸を果たしたのは上鰯町とされ、
上陸したであろう石段があります。


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福岡県福岡市 柳町遊郭跡

柳町遊郭博多にあった福岡藩公認の遊郭。
慶長期に黒田長政福岡城築城の際に、
石堂川(現御笠川)沿いに妓楼を集め、
成立させた遊郭でした。
当初は藩士の遊所通いが禁止され、
違反すると厳しい処罰があったようですが、
いつの間にか藩士も通うようになっています。
寛文8年(1668)に… 続きを読む

福岡県福岡市 若松屋(常盤館)跡

元治元年11月。
野村望東尼に匿われていた高杉晋作は、
三家老の切腹等の知らせを聞いて憤慨。
長州藩に戻る事を決意しました。
帰還には対馬府中藩の協力が必要で、
博多にあった同藩の蔵屋敷に行く為には、
警戒の厳しい番所を通らねばなりません。
この為に筑前勤皇党の同志らの助けを借り、… 続きを読む

高杉晋作の上海掩留日録③

//③
つづき。

5月23日
朝、五代と英人ミユルヘツトを訪ねる。
※英宣教師ウィリアム・ミュアヘッド
 半世紀にわたり上海に滞在した人物。

ミユルヘツトは耶蘇教師で、
耶蘇教を上海市民に教えている。
城内の… 続きを読む

高杉晋作の上海掩留日録②

/②/
つづき。

14日
晴。上陸してから今日で一旬余り。
※一旬は10日の事ですが、
 上陸してではなく上海に着いてから。

雨は全く降っていない。
この国に雨は降るのであろうか。
終日閉居し英書を読む。
同行の渡辺與八郎の従僕が、
※渡辺は博多の呉服店「
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下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓

高杉家の菩提寺は亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。


高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む