①/②/③
つづき。
5月23日。
朝、五代と英人ミユルヘツトを訪ねる。
※英宣教師ウィリアム・ミュアヘッド。
半世紀にわたり上海に滞在した人物。
ミユルヘツトは耶蘇教師で、
耶蘇教を上海市民に教えている。
城内の… 続きを読む
「高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ
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高杉晋作の上海掩留日録②
高杉晋作の上海掩留日録①
下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓
高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む
高杉晋作の甲子残稿
[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩… 続きを読む
高杉晋作の観光録
高杉晋作は文久3年に交友録として、
[観光録]を書いています。
交友のあった志士らが記載されており、
意外な繋がりを知る事が出来て、
羅列ながら色々と想像すると面白い。
[観光録]
久米藩、田中紋次郎、今井彦三郎、
肥前、中牟田倉之助、能萬介次郎、
同、草場叉三、森傳二郎、
濱松、名倉予何人、
大坂住伊藤軍作、水戸浪大橋熊次、高田… 続きを読む
広島県安芸高田市 高杉山城跡
長州藩大組高杉家(高杉晋作)のルーツとして、
三次市の高杉城が知られていますが、
安芸高田市に高杉山城なる城跡があり、
こちらも高杉家のルーツとされています。
城跡には高杉家が碑を建立しており、
どちらがルーツなのかはっきりしません。
吉田町西浦周辺。
赤丸の場所に高杉家先祖の墓があります。
城跡とはいえ小山があるだけで遺構はなく、
更にその小山も小さなものなので、
小規模な砦… 続きを読む