高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ

高杉晋作の上海掩留日録③

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つづき。

5月23日
朝、五代と英人ミユルヘツトを訪ねる。
※英宣教師ウィリアム・ミュアヘッド
 半世紀にわたり上海に滞在した人物。

ミユルヘツトは耶蘇教師で、
耶蘇教を上海市民に教えている。
城内の… 続きを読む

高杉晋作の上海掩留日録②

/②/
つづき。

14日
晴。上陸してから今日で一旬余り。
※一旬は10日の事ですが、
 上陸してではなく上海に着いてから。

雨は全く降っていない。
この国に雨は降るのであろうか。
終日閉居し英書を読む。
同行の渡辺與八郎の従僕が、
※渡辺は博多の呉服店「
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下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓

高杉家の菩提寺は亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。


高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む

高杉晋作の甲子残稿

[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩続きを読む

高杉晋作の観光録

高杉晋作は文久3年に交友録として、
[観光録]を書いています。
交友のあった志士らが記載されており、
意外な繋がりを知る事が出来て、
羅列ながら色々と想像すると面白い。

[観光録]
久米藩、田中紋次郎、今井彦三郎、
肥前、中牟田倉之助、能萬介次郎、
同、草場叉三、森傳二郎、
濱松、名倉予何人、
大坂住伊藤軍作、水戸浪大橋熊次、高田
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広島県安芸高田市 高杉山城跡

長州藩大組高杉家(高杉晋作)のルーツとして、
三次市の高杉城が知られていますが、
安芸高田市に高杉山城なる城跡があり、
こちらも高杉家のルーツとされています。
城跡には高杉家が碑を建立しており、
どちらがルーツなのかはっきりしません。


吉田町西浦周辺。
赤丸の場所に高杉家先祖の墓があります。
城跡とはいえ小山があるだけで遺構はなく、
更にその小山も小さなものなので、
小規模な砦続きを読む