壽永寺には山本尚徳の墓もあります。
国島六左衛門の墓よりも更に山上にあり、
こちらも住職さんに案内頂きました。
「大洲藩故大参事源朝臣山本尚徳奥城」。
山本尚徳は重臣山本加兵衛家に生まれ、
馬廻役、明倫堂司誌、郡奉行を務め、
常盤井厳戈に国学を学んで勤皇の志篤く、
啓行隊を組織して有事に備えました。
大参事となって藩政を預かるようになると、
江州より桑苗を取り寄せて領民に配布し、
士族宅の庭にも栽培させて養蚕を推奨。
また茶の栽培や製茶も奨励しています。
しかし次々に発布される新政策に対し、
大洲領民が怒って大規模な一揆が発生。
※大洲騒動。
一揆勢は山本大参事らの罷免及び、
旧制度復活、種痘廃止、蘭方医排斥、
課税軽減、戸籍調査停止等を要求し、
旧藩主の説得にも応じませんでした。
この為に山本は全ての責任を負い自刃。
山本の死を知った一揆勢は解散し、
騒動は沈静化しています。
「山本大参事頌徳碑」。
大洲南中学校の北西隅にある頌徳碑。
校庭の一部は山本尚徳の屋敷だったようで、
この碑は昭和6年に建立されたもの。
現在でさえ新制度が出来ると、
国民は右往左往するもの。
300年続いた旧制度が全て変わる不安は、
想像を絶するものでしょう。
政府は[丁寧な説明を・・]と言いますが、
皆が納得するまで説明するのは不可能。
勘違いや知らないという事から、
扇動を受ける事は歴史上よくある事。
戸籍調査は住民の血を採る為だとか、
種痘は人を牛に変える為だとか、
今ではアホらしいなのですが、
集団心理で暴動が起こってしまう事もある。
こうなれば誰かの犠牲が必要で、
真っ先に善良な人物が犠牲になる。
そういう例だったのではないでしょうか?
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大洲藩加藤家の居城跡。