壽永寺に国島六左衛門の墓があります。
一度目の訪問では墓を見つけきれず、
嘉永寺の住職さんに案内して頂き、
5年ぶりにやっと参拝ができました。
「國島歴卋墓」。
大洲藩士国島六左衛門紹徳の墓。
国島は大洲藩で郡中奉行を務めた人物で、
心極流、正木流、荻野流砲術を極め、
藩内で砲術の達人と称されていたとされ、
藩に新式銃購入を命じられ、
同藩士井上将策と共に長崎に赴きます。
そこで坂本龍馬と知り合ったようで、
龍馬に蒸気船の購入を勧められ、
数人の同志と相談のうえで、
藩の許可を得ずに蒸気船購入を計画。
薩摩藩士五代才助の斡旋により、
鉄製の蒸気船アビゾ号(いろは丸)を購入し、
大洲藩領の長浜湊に回航してから、
再び長崎に出航しています。
長浜停泊時に無断購入が了承されたようで、
往路では薩摩藩の丸十字だった旗が、
復路では大洲藩の蛇の目に変わったという。
藩は慶応2年12月に幕府に対し、
この船は城下町人対馬屋定兵衛が購入し、
藩士の航海訓練及び交易に使うと報告。
国島の計画は成功したかに思えました、
しかしこれが藩内守旧派を中心に、
激しい非難を招く事となり、
長崎で謎の自害を遂げています。
この謎の自殺が色々と推測されており、
龍馬に騙されたという説や、
無断購入の金策に悩んだ末の自殺等、
色々と推測があるようですが、
そもそも龍馬が勧めたという文献はなく、
亀山社中が航海術教授を拒んだ事実もない。
勿論国島が自殺した際には、
龍馬と五代が駆け付けたようですので、
知り合いではあったものと思われます。
また無断購入とはいえ藩の了承は得ており、
金策に悩む必要はありません。
藩内守旧派の非難は想定出来ますから、
それを苦にする位なら初めから買わない。
ならば何かと言われれば、
正確な事は本人でないとわかりません。
神式銃購入の為に長崎に赴いた国島は、
偶然にも五代より良い船があると聞かされ、
独断で購入の約束をしました。
しかし購入には藩の了承が必要ですので、
とりあえずは藩主や重臣らへ見せる為、
藩の港である長浜湊でお披露目。
そこで藩主や重役が気に入ったのか、
正式に購入が決定します。
そして大洲の産物を積み込んで長崎に帰り、
再び正式契約がされるのですが、
そこで僅かな代金の上乗せがあったようで、
交渉失敗の責任を取ったと思われます。
懐事情の厳しい大洲藩が、
自分を信じて購入に踏み切った案件。
僅かの上乗せも死活問題となり得る為、
国島はその責を自裁で償ったのでは?
これは責任感からなる尊厳ある死であり、
龍馬に騙された可哀想な人とするのは、
それこそ彼を貶めている気がします。
後にいろは丸は海援隊に貸し出されますが、
紀州藩船籍の明光丸と衝突して沈没。
龍馬は鞆ノ浦で賠償交渉を行いました。
以降はどうなったのかよくわかりませんが、
買った、沈んだ、借金残ったでは、
小藩の大洲藩は潰れてしまうでしょうから、
なんとかなったのではないでしょうか?
■関連記事■
・広島県福山市 鞆の浦①
いろは丸の賠償交渉が行われた港町。
・愛媛県大洲市 大洲城
大洲藩加藤家の居城跡。
・愛媛県大洲市 長浜湊
いろは丸が入港した大洲藩の港。