愛媛県大洲市 長浜湊

大洲市の中心部は内陸にありますので、
大洲藩内陸の藩だと勘違いしがちですが、
意外にも長い海岸線を持つ藩でした。
城下を流れる肘川瀬戸内海へと注ぎ、
その河口にある長浜が藩に整備され、
城下の外港として機能し、
御船手奉行大目付等の役宅が置かれ、
大洲の産物を集積する蔵屋敷が並んだ他、
藩主の御座船軍船も係留。
城下とは肘川の河運で結ばれていた為、
藩内外の物資が集められ、
活発な商取引が行われています。


長浜漁港」。
長浜は伊予灘屈指の漁港でもありました。
港の形は港湾工事で変わっていますが、
古い時代に積まれたであろう石垣が、
見え隠れするように点在しています。
港の発展は加藤貞泰の入封以降のようで、
それ以前はの繁る荒地だったという。


長浜商店街(本町通り)」。
町並みは本町通りを中心に形成されており、
明治~昭和初期築の家屋が並んでいます。


冨屋金兵衛邸」。
坂本龍馬吉村寅太郎が宿泊した宿。
吉村は平野国臣らの挙兵計画に参加する為、
文久2年3月に脱藩していますが、
その際にこの冨屋金兵衛邸に宿泊。
これに続いて龍馬と沢村惣之丞が脱藩し、
吉村の紹介でここに泊っています。


坂本龍馬 吉村寅太郎 宿泊之地」碑。
平成3年に長浜史談会により建てられた碑。


長浜大橋(赤橋)」。
現役で動く国最古の道路可動橋
昭和10年に竣工したもので、
赤橋の通称で親しまれています。
国指定重要文化財

本町通りのひとつ海側の通りは、
明治期の建物が並んでいます。

末永家邸」。
回漕業を代々営んでいた末永家の住宅。
明治期の当主末永四郎平は、
長浜財界の大御所であったようで、
長浜町長となったとのこと。

見た感じ江戸期の建物は残っていない模様。
藩主が滞在したであろう御茶屋や、
奉行所の場所もわかりませんでした。
長浜は龍馬が船出した場所ですが、
後にいろは丸で長崎から回航しており、
非常にゆかりのある場所ではありますが、
龍馬の名や姿は冨屋邸以外は見られません。
他の龍馬ゆかりの場所には、
これでもかと龍馬が推されていますが、
長浜ではそんな風には感じられません。
それ程ゆかりも無い筈なのに、
龍馬推しが過ぎる場所もある中で、
自然体で鼻に付かないのが良いですね。

慶応2年9月。
国島六左衛門が独断で購入したいろは丸は、
亀山社中の操舵により長浜に入港。
大洲藩主や家老達へのお披露目の後、
正式に購入が許されたと思われます。
最初薩摩藩の紋所が掲げられていましたが、
長浜入港後は大洲藩の紋所が掲げられ、
※大洲藩加藤家の家紋は「蛇の目輪」。
大洲の様々な物産品が積み込まれた後、
再度長崎へ向かいました。

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 いろは丸の賠償交渉が行われた港町。