盛岡藩との国境に程近い十二所は、
久保田藩にとって重要な場所であり、
その防御の為に重臣茂木家が派遣され、
十二所城代としてその藩境を守りました。
「十二所城代茂木家墓所」。
茂木家の墓所は杉林の中。
墓所は市の文化財として守られており、
状態良く保たれています。
茂木家は清和源氏の流れを汲む名門。
始祖八田知家は源義朝夫人八田局の子で、
源頼朝の異母弟にあたります。
頼朝の信頼を得て奥州征伐を行った他、
鎌倉幕府の成立にも深く関わっており、
それらの功で下野国茂木荘を拝領。
茂木姓を名乗った2代茂木知基より、
18代茂木治良まで長く茂木荘を治めた後、
佐竹義宣に従って秋田に移住します。
後に21代茂木知恒が十二所城代を拝命し、
30代茂木知端まで187年の間、
周辺の治政を担当しました。
「久遠院殿壽〇量公大居士」。
23代当主(十二所3代)茂木知暢の墓。
21代知恒、22代茂木知量は、
羽後町足田の能持院にあるらしい。
この知暢よりここを墓所としました。
「〇〇院殿天山良〇大居士」。
25代当主(十二所5代)茂木知輝の墓。
「賢隆院殿恵光定智大居士(左)」、
「曹源院殿滴漚一水大居士(中央)」、
「君勇院殿賢翁道忠大居士(右)」。
26代当主(十二所6代)茂木知卿の墓、
24代当主(十二所4代)茂木知昆の墓、
28代当主(十二所8代)茂木知達の墓。
「靈徳院殿儀廣亮雄大居士」。
29代当主(十二所9代)茂木知徳の墓。
「汞徳院殿享巖宗壽大居士」、
「源姓 茂木知端之墓」。
27代当主(十二所7代)茂木知敞の墓、
30代当主(十二所10代)茂木知端の墓。
30代知端が幕末期の当主。
安政5年に家督を相続しており、
秋田戦争で居館十二所館を焼かれ、
所領の十二所を奪われました。
後に佐竹大和や多賀谷家知らと反撃し、
その所領を奪回。
晩年には十二所町長も務めており、
明治34年に死去しています。
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