長崎市西児島の小高い場所に、
佐古招魂社があります。
唐人屋敷跡より上へ登った辺りで、
そこは長崎湾が一望できる場所。
早朝よりこの小高い場所へ。
佐古招魂社への入口は、
仁田佐古地区ふれあいセンター近く。
階段脇には石標が設置してあり、
佐古招魂社の説明文が刻まれています。
石段を登ると右手に門が現れますが、
残念ながら門は閉ざされていました。… 続きを読む
長崎県長崎市 佐古招魂社
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長崎市西児島の小高い場所に、
佐古招魂社があります。
唐人屋敷跡より上へ登った辺りで、
そこは長崎湾が一望できる場所。
早朝よりこの小高い場所へ。
佐古招魂社への入口は、
仁田佐古地区ふれあいセンター近く。
階段脇には石標が設置してあり、
佐古招魂社の説明文が刻まれています。
石段を登ると右手に門が現れますが、
残念ながら門は閉ざされていました。… 続きを読む
奥羽越列藩同盟を脱退した久保田藩に対し、
盛岡藩は久保田領への侵攻を開始。
楢山佐渡は花輪御官所に全軍を集結させ、
秋田県鹿角市 花輪館跡
部隊を二手に分けて藩境を目指します。
一方で毛馬内でも向井蔵人、桜庭祐橘が、… 続きを読む
扇田の米代川左岸杉林にある扇田神明社。
盛岡藩の大館侵攻の際に激戦地となり、
多くの死傷者を出したようです。
「扇田神明社」。
杉林が神聖な雰囲気を醸し出す神域。
文治年間(1185~90)の創建とされ、
主祭神は天照大神とのことで、
江戸期以前は伊勢堂と称していました。… 続きを読む
寿仙寺は大館市扇田にある曹洞宗寺院。
承暦4年(1080)創建の寿泉院を前身とし、
佐竹家入封に伴い天台宗より改宗され、
藩主菩提寺天徳寺の末寺となりました。
「本堂」。
一町八反の寺域に堂宇を構え、… 続きを読む
久保田藩は盛岡藩との藩境の要衝十二所に、
本格的な城郭である十二所城を築城し、
その防御拠点としていましたが、
一国一城令によって破却されています。
十二所城は館構えに造り替えられ、
十二所館として山麓に設置されており、
盛岡藩との藩境警備の役割を負って、
更に周辺の行政を担いました。
「… 続きを読む
盛岡藩との国境に程近い十二所は、
久保田藩にとって重要な場所であり、
その防御の為に重臣茂木家が派遣され、
十二所城代としてその藩境を守りました。
「十二所城代茂木家墓所」。
茂木家の墓所は杉林の中。
墓所は市の文化財として守られており、
状態良く保たれています。
茂木家は清和源氏の流れを汲む名門。… 続きを読む
長年寺の隣の恩徳寺にも、
戊辰之役戦死者の墓があります。
恩徳寺は源義経の出陣に伴い、
平泉から馳せ参じた花輪次郎行房が、
源平合戦の屋島の戦いで討死した為、
戦場にあった阿弥陀三尊像を持ち帰り、… 続きを読む