長年寺墓地にある戊辰之役戦死者の墓。
明治元年(1868)8月9日。
奥羽越列藩同盟に離反した久保田藩に対し、
その非を正す事を名目として、
盛岡藩兵は藩境を越えて久保田藩領に侵攻。
十二所、扇田を落とした盛岡藩は、
その勢いで大館城を落城させると、
破竹の勢いで… 続きを読む
秋田県鹿角市 長年寺/戊辰之役戦死者之墓
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長年寺墓地にある戊辰之役戦死者の墓。
明治元年(1868)8月9日。
奥羽越列藩同盟に離反した久保田藩に対し、
その非を正す事を名目として、
盛岡藩兵は藩境を越えて久保田藩領に侵攻。
十二所、扇田を落とした盛岡藩は、
その勢いで大館城を落城させると、
破竹の勢いで… 続きを読む
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の墓。
「故荘内藩大夫酒井君之墓」。
庄内藩第二大隊大隊長酒井玄蕃了恒の墓。
了恒は酒井吉之丞家当主酒井了明の長男で、
長沼流兵学指南の秋保政右衛門に学び、
剣術にも長けていたとされていますが、
漢詩を詠んで書を嗜んだ他、… 続きを読む
宗福寺は常陸国那珂郡小場村に建立され、
領主小場家の菩提寺となっていましたが、
佐竹家家中の領地再編で小田に移り、
後の秋田転封により大館に移転しています。
「本堂」。
現在の本堂は寛永2年(1625)の再建。… 続きを読む
大館城を落とした盛岡藩勢は、
羽州街道を南下して小繋まで進軍。
久保田藩勢は荷上場まで後退し、
米代川を挟んで両軍が睨み合いました。
やがて新政府軍の援軍として佐賀藩及び、
小城藩… 続きを読む
清川のはずれの県道45号線沿いに、
清河口で戦死した長州藩兵の墓があります。
「戊辰之役古戦場官軍墳墓」。
近くには[北楯大堰]という古い水路があり、
最上家家臣北楯利長の開削したものという。
右端の[赤心薫萬古]は… 続きを読む
庄内藩の藩境には五つの関所がありましたが、
清川口の関所は最上川の往来もあることから、
川口番所とも呼ばれており、
その往来が最も多かったとされています。
「芭蕉上陸之地」。
松尾芭蕉は奥の細道で最上川を下り、
この清川で上陸して出羽三山… 続きを読む
鶴岡の奥座敷と呼ばれる湯田川温泉は、
山形県内で2番目に古い温泉とされ、
開湯は和銅5年(712)であるという。
出羽三山参りの精進落としに利用され、
温泉場として賑わいを見せた他、
庄内藩藩主の湯治場にも利用されたという。
「湯田川温泉」。
江戸時代に作成された… 続きを読む