清川のはずれの県道45号線沿いに、
清河口で戦死した長州藩兵の墓があります。
「戊辰之役古戦場官軍墳墓」。
近くには[北楯大堰]という古い水路があり、
最上家家臣北楯利長の開削したものという。
右端の[赤心薫萬古]は… 続きを読む
山形県東田川郡 戊辰之役古戦場官軍墳墓
コメントを残す
清川のはずれの県道45号線沿いに、
清河口で戦死した長州藩兵の墓があります。
「戊辰之役古戦場官軍墳墓」。
近くには[北楯大堰]という古い水路があり、
最上家家臣北楯利長の開削したものという。
右端の[赤心薫萬古]は… 続きを読む
庄内藩の藩境には五つの関所がありましたが、
清川口の関所は最上川の往来もあることから、
川口番所とも呼ばれており、
その往来が最も多かったとされています。
「芭蕉上陸之地」。
松尾芭蕉は奥の細道で最上川を下り、
この清川で上陸して出羽三山… 続きを読む
鶴岡の奥座敷と呼ばれる湯田川温泉は、
山形県内で2番目に古い温泉とされ、
開湯は和銅5年(712)であるという。
出羽三山参りの精進落としに利用され、
温泉場として賑わいを見せた他、
庄内藩藩主の湯治場にも利用されたという。
「湯田川温泉」。
江戸時代に作成された… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
「松平親懐之墓」。
松平舎人家6代当主松平権十郎親懐の墓。
江戸で新徴組の御用掛を務め、
藩兵や新徴組を率いて江戸市中を取り締り、
丁卯の大獄では藩内改革派の捕縛。
不貞浪士を匿う… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である松平甚三郎家もそのひとつ。
「英真院殿忠譽傑山久厚大居士」。
松平甚三郎家13代松平甚三郎久厚の墓。
秋田戦争では一番大隊の大隊長を務め、
二番大隊の… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で… 続きを読む
庄内藩酒井家の菩提寺大督寺。
酒井家次が下総国臼井に転封した際、
酒井家の菩提寺として大信寺を建立し、
高崎への酒井家移封に従って移転。
酒井忠次正室碓井姫が死去した際、
その法号に因み大督寺に改称しました。… 続きを読む