85代仲恭天皇の九条陵の手前に、
長州藩将兵の墓所があります。
「鳥羽伏見防長殉難士墓所」。
この場所を墓地としたのは、
長州藩が本陣とした東福寺に近い為。
現在の墓碑が建立されたのは、
明治33年の33回忌だったとのこと。
被葬者は以下48名ですが、
鳥羽伏見の戦い以外の死者も含まれます。
藤村英次郎… 続きを読む
「官修墳墓」タグアーカイブ
熊本県水俣市 陳内官軍墓地
水俣城(陳内城)跡にある官軍墓地。
西南戦争で戦死した官軍兵の墓で、
高隈山の戦いの戦死者が多いようです。
※明治10年6月18日の戦闘で、
鹿児島県大口市高隈山をめぐる戦い。
「陣内官軍墓地」。
陣内なのか陳内なのかはっきりせず、
現地の説明碑にも両方の表記があります。
勿論両方共[じんない… 続きを読む
熊本県葦北郡 峰崎官軍墓地
峰崎官軍墓地は明治10年の西南戦争の際、
芦北町内で戦死した陸軍将兵の墓地。
周辺では佐敷や大関山一帯が戦場となり、
それらで戦死した将兵が埋葬されました。
特に大関山を巡る戦闘での戦死者が多く、
60名も埋葬されているという。
「峰崎官軍墓地」。
86名の将兵が眠る官軍墓地。
明治十年之役官軍戦死者墳墓地… 続きを読む
宮崎県日向市 細島官軍墓地
細島港南側の丘にある細島官軍墓地。
西南戦争で戦死した官軍兵が、
ここに葬られました。
「細島官軍墓地」。
官軍兵319名の墓碑が並ぶ墓地。
宮崎県各地で戦死及び戦病死した兵士らで、
関東、中部、東北出身の者も多く、
故郷より遠く離れた地で眠っています。
「… 続きを読む
熊本県玉名郡 城ノ原官軍墓地
南関御茶屋跡の駐車場より南関城跡へ。
「南関城の登城口」。
南関城は加藤清正の家臣加藤正次により、
慶長5年(1600)に築城が開始され、
慶長9年(1604)に完成したという。
縄張りは清正自らが担当し、
正次が城代を務めていたようです。
城は一国一城令によって失われており、… 続きを読む
山形県東田川郡 戊辰之役古戦場官軍墳墓
清川のはずれの県道45号線沿いに、
清河口で戦死した長州藩兵の墓があります。
「戊辰之役古戦場官軍墳墓」。
近くには[北楯大堰]という古い水路があり、
最上家家臣北楯利長の開削したものという。
右端の[赤心薫萬古]は… 続きを読む
秋田県横手市 龍昌院/戊辰戦死者墓所
横手城の戦いで討死した横手勢の戦死者は、
敵方の庄内藩一番大隊によって集められ、
城下の龍昌院に埋葬されています。
「龍昌院」。
常陸国時代より重臣戸村家の菩提寺で、
後に佐竹家が出羽半国に減転封となった際、
戸村家に随行して久保田に移り、… 続きを読む