島津忠将は相州島津家4代当主で、
垂水島津家の初代当主でもあります。
武勇に優れた人物だったようで、
兄で宗家15代当主島津貴久を補佐。
多くの戦いで武功を挙げており、
大隅肝付家や日向伊東家の抑えとして、
要衝であった清水城の城主に就任し、
両家の動向に睨みを効かせていました。
永禄4年(1561)に肝付家が廻城を奪うと、
貴久の命で忠将は嫡子島津義久と共に出陣。
忠将は竹原山に陣を構えましたが、
味方部隊の危機の知らせを聞くと、
単騎でその救援に向かったとされ、
奮戦するも力尽きで戦死しています。
忠将の家督は子の島津以久が相続し、
以久は後に垂水に移封されており、
垂水島津家と称されますが、
後に佐土原藩主となって薩摩藩から独立。
家督は嫡男島津彰久に与えられ、
垂水島津家として継続しました。
以久は父忠将の戦死地に慰霊碑を建立し、
父の霊を慰めています。
「参道入口」。
桜山を臨む中茶屋公園に車を停めて、
近くの民家に島津忠将供養塔の場所を聞き、
少し登って参道入口へ。
脇に16代当主島津貴暢建立の碑もあります。
先へ行くと島津忠将供養塔がありますが・・。
「島津忠将供養塔」。
なんと供養塔は崩れていました。
後で調べると倒木が直撃したらしく、
無残に倒壊したようです。
倒壊した木は撤去されていますので、
何れ修復はされると思われますが、
折角来たのに残念でした。
■関連記事■
・鹿児島県垂水市 垂水島津家墓所①
垂水島津家の歴代墓所。
・鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所②
忠将の兄島津貴久の墓もあります。
・宮崎県宮崎市 高月院/佐土原藩島津家墓所①
忠将の子島津以久の墓があります。