DATA整理していた際に発見した永井白元の墓。
場所は撮影許可を頂いているものの、
諸事情により寺名は伏せます。
※これについては下記に理由を書いています。
東京都中野区 櫛羅(大和新庄)藩永井家墓所
永井白元は旗本永井監物家の初代当主で、
同家は関東各地に3000石を領し、
相模国鎌倉郡東俣野に陣屋を置きました。
「汞元院殿前城門郎大應道禪居士」。… 続きを読む
東京都中野区 永井白元墓所
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DATA整理していた際に発見した永井白元の墓。
場所は撮影許可を頂いているものの、
諸事情により寺名は伏せます。
※これについては下記に理由を書いています。
東京都中野区 櫛羅(大和新庄)藩永井家墓所
永井白元は旗本永井監物家の初代当主で、
同家は関東各地に3000石を領し、
相模国鎌倉郡東俣野に陣屋を置きました。
「汞元院殿前城門郎大應道禪居士」。… 続きを読む
南林寺由緒墓にある伊地知季寿の墓。
「〇心院義山宗勇居士」。
薩摩藩士伊地知愛四郎季寿の墓。
遊撃第四隊分隊長として戊辰戦争に従軍し、
秋田戦争の清川の戦い(4/24)で重傷を負い、
久保田の野戦病院で治療を受けますが、
7月28日に戦病死しています。… 続きを読む
戊辰戦争の戦死者二階堂行信の墓。
「二階堂右八郎行信墓」。
薩摩藩士二階堂右八郎行信の墓。
知覧島津家21代当主島津久福の四男で、
二階堂家の養子に行ったようですが、
どの系譜かわかりません。
戊辰戦争では小銃第四隊小頭見習となり、
白河口の戦い… 続きを読む
薩摩藩邸焼討事件の犠牲者篠崎彦十郎の墓。
「篠崎彦十郎橘仲苗」。
江戸藩邸留守居役篠崎彦十郎仲苗の墓。
当時薩摩藩は江戸で騒乱工作を行う為、
その実行部隊として多くの浪士を匿っており、… 続きを読む
上野戦争で戦死した岩下半之助の墓。
「岩下道英墓」。
薩摩藩士岩下半之助道英の墓。
岩下は小銃第一隊に所属しており、
上野の寛永寺に立て籠もる彰義隊に対し、
新政府軍は5月15日に総攻撃を開始。… 続きを読む
戊辰戦争で戦死した久永龍助の墓。
「平阿曽美久永龍助貞昌墓」。
薩摩藩士久永龍助貞昌の墓。
※平阿曽美とは平朝臣の意。
戊辰戦争では大砲第二隊の小隊長を勤め、
9月20日の庄内藩… 続きを読む
戊辰戦争で戦死した薩摩藩士橋口与助の墓。
「橋口与助伴兼之墓」。
※与は旧字体。
薩摩藩士橋口与助兼之の墓。
戊辰戦争では小銃第四隊に所属しており、
3月9日に行われた梁田の戦いで、
古屋佐久左衛門… 続きを読む