薩摩藩」タグアーカイブ

鹿児島県指宿市 指宿地頭仮屋跡

指宿麓薩摩半島南部にあった小規模の外城
延享元年(1744)に今和泉郷が新設され、
その管轄地が少なくなっており、
江戸末期には西方村の一部、東方村十町村
十二町村がその範囲となっています。


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鹿児島県鹿児島市 喜入肝付家墓所

喜入旧麓にある喜入肝付家の菩提寺玉繁寺跡
元々は加治木にあったようですが、
肝付家の移封に伴って移転しています。


喜入肝付家墓所」。
玉繁寺跡にある喜入肝付家の墓所。
県内他寺と同様に廃仏毀釈で廃寺となり、
喜入肝付家の墓所のみが残されました。


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鹿児島県鹿児島市 喜入御仮屋跡

喜入郷喜入肝付家の私領だった地で、
石高は3625石であったという。
※肝付家は他に河辺郡内に領地があり、
 合計5500石で一所持の家格。

肝付宗家は再三島津家と争っていますが、
諸流である家祖の肝付兼光は島津家に従い、
以後は代々重臣として活躍。
文禄4年(1596)に肝付兼三が入って以降、… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 谷山地頭仮屋跡

谷山麓は城下から10km南にある外城
周辺は郡司谷山氏の領地でしたが、
南北朝時代島津家の領地となり、
以後は直轄地となっていました。
江戸時代には地頭仮屋が置かれており、
その周辺に麓集落が形成されています。


谷山地頭仮屋跡(谷山小学校)」。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 西郷家墓地

西郷家の墓所は南林寺にあったようで、
南林寺が廃仏毀釈で廃寺となった為、
墓地だけがその跡地に残っていましたが、
大正期の都市計画によって移転が決まり、
現在地に23基の墓石が改葬されました。
当時永野金山鉱業館長を務め、
薬師町に引っ越していた西郷菊次郎が、
移転に大きく関わったとされています。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 南林寺由緒墓/薬丸兼陳墓

南林寺は鹿児島城下にあった曹洞宗寺院で、
その墓地には13万5000基の墓がありましたが。
廃仏毀釈によって破壊されて廃寺となった為、
大正8年の市街地拡大計画により移転させられ、
市営の草牟田墓地郡元墓地露重墓地
興国寺墓地等に振り分けられました。
これらは… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 陸軍火薬庫跡

草牟田墓地にある陸軍火薬庫跡の碑。
薩摩藩は廃寺となった隆盛院跡に、
弾薬庫を設置していましたが、
廃藩置県に伴い陸軍に移管されています。
後の明治10年1月29日に明治政府は、
鹿児島士族の不穏な動きを察知。
県の… 続きを読む